この特集は、概説記事から始まり、「いとほし」「ハイカラ」「橋と傍丘」「言霊」「酒樽」といった言葉を、折口信夫の講演と論文で読んできた。最後に、それぞれが現在どう扱われているかを整理する。

なお、この記事の「現在の扱い」は、日本語学の一般に知られた整理であり、個々の辞書や論文を、一つずつ確認したものではない。断定を避けるため、確実なものと、そうでないものを分けて書く。

今も通用する、言葉の意味の見取り図——いとほし・ハイカラ

**「いとほし」**が、「厭う」を語根とし、もと「嫌だ」に近い意味だったという説明は、古語辞典でも、ふつうに見られる考え方である。「いたはし」に引かれた、という折口の解釈は、意味が動く過程を説明する、分かりやすい仮説として読める。

**「ハイカラ」**は、高い襟(ハイ・カラー)から来た言葉だという点が、今日でも一般的な説明である。悪口が褒め言葉に変わったという、意味の動きも、広く語られる。折口の語りは、細部(誰が、どの新聞が)については、他の資料で確かめられていない部分を含むが、変化の大筋は、現在の理解と合っている。

折口の観察が、後の言葉で整理されたもの——「酒→さか」

複合語の中で、語の形が変わる現象(酒→さか、木→こ、火→ほ)は、折口が「単なる音韻変化ではない」と述べた点が、後の上代語研究で、より精密に整理された。この特集の橋本進吉の特集有坂秀世の特集で見た、上代の仮名の書き分け(甲類・乙類)の研究が進むなかで、独立した形と、複合語の中の形が、規則的に入れ替わる現象として、研究が進められたと理解されている。折口が、1931年の論文で、この現象を取り上げ、「規則」として捉えたことは、観察としての価値が高い。

ただし、折口が、その理由を「語根がウ列に近いから」と説明した部分は、折口自身が推測と断っているとおり、そのままの形で、後の研究に受け継がれたわけではない。

仮説として読むもの——古代の語順、冬の語源

古代の複合語には、主部が先に来る型があったという折口の説は、独自の見方である。「梯(はしだて)」や「傍丘」を、その例として読む解釈は、後の研究者に広く受け入れられているとは限らない。「はしだて」を、「はし」に「立て」がついた形として、別の説明をする見方もあり、折口の読み方は、そのうちの一つにとどまる。この特集では、折口の見方として、読むにとどめた。

もう一つ、折口の講演から、例を挙げておく。折口は、論文「語根論の断簡」のなかで、「冬」という言葉を、「みたまのふゆ祭り」の「ふゆ」(魂を分ける、増やす)から出たものと考えている。これは、発想として面白いが、冬の語源としては、複数の説があるなかの、折口独自の推測である。折口は、この説明を「疑ひない」と、確信をもって書いている。しかし、冬の語源には、ほかにも複数の説があり、折口の説を確定したものとして扱うことはできない。

言葉を、信仰と暮らしのなかで読む視点——言霊

**「言霊の幸ふ国」**についての折口の指摘——言葉の美しさをほめる言葉ではなく、言葉に精霊が宿るという信仰に基づく言葉だ、という読み——は、言霊という言葉の意味を、後世の読み替えから引き離して、もとの文脈に戻す試みとして、今も参照される視点である。折口が、「言霊の幸ふ」という言い方を、『万葉集』の時代の言葉の形から見て新しい、と指摘した点も、証拠に基づく議論である。

ただし、古代の信仰の中身そのものについては、折口が「全然なかったとは言い切れない」と述べたように、確定できない部分が残る。

今も通用 いとほし・ハイカラ——意味の動きの見取り図 「厭う」から「愛しい」へ。悪口から褒め言葉へ 観察が整理された 酒→さか、木→こ、火→ほ——複合語での語の形の変化 「単なる音韻変化ではない」という指摘は価値が高い。理由の推測は別 視点として参照 言霊——言葉を信仰と暮らしのなかで読む 後世の読み替えを、もとの文脈に戻す試み 仮説として読む 古代の語順(はしだて・傍丘)、冬の語源 折口独自の見方。広く受け入れられているとは限らない
折口信夫の言葉の話の、現在の扱い。図:ToL

折口から、私たちが学べること

折口の言葉の話は、答えの確かさが、話ごとにまったく違う。それでも、折口の文章には、一貫した姿勢がある。

新村出から、折口信夫へ

新村出の特集では、一つの言葉の来歴を、文献の証拠で追いかけ、言い切る範囲を区切る態度を見た。折口は、同じ「言葉の来歴」という主題を、まったく違う方法——古代の信仰と暮らしの想像——で追いかけた。新村が、証拠の確かさで勝負した人だとすれば、折口は、発想の豊かさで、日本語の新しい見方を切り開いた人である。二人は、言葉の由来を探すという同じ仕事に、対照的な二つの道があることを、示している。

なお、折口は、この論文のなかで、日本語と朝鮮語を対比する「日鮮語同祖」の研究をめぐって、金沢博士の説に反対する学者を批判する一節を残している。その金沢庄三郎については、この「近代古典の国語」特集の、別の回で読む。

まとめ

判定対象
今も通用いとほし(厭うから)、ハイカラ(高い襟から)。意味の動きの見取り図
観察が整理された酒→さか、木→こ、火→ほ。「単なる音韻変化ではない」という指摘。理由の推測は別
視点として参照言霊。言葉を信仰と暮らしのなかで読む試み
仮説として読む古代の語順(はしだて・傍丘)、冬の語源など、折口独自の推測
残る姿勢暮らしと信仰から読む。身近な言葉に古い規則を見る。推測の限界を自分で断る

一言でいえば——折口信夫の言葉の話は、観察は残り、推測は仮説として読むべきものだった。ただし、言葉を暮らしと信仰のなかで読むという視点と、推測の限界を自分で断る姿勢は、答えが変わっても、価値を失わない。