前半では、頭の中の「思い浮かべる」と「決めつける」、そして文が三つの部品でできていることを見た。後半は、この本でいちばん有名な二つの発見——動詞の正体と、一文に隠れた複数の文

1. 動詞の正体は「時」じゃなくて「言い切ること」

「健康(ヘルス)」は名詞。「健康である」は動詞。この二つ、何が違うのだろうか。

ふつうは「動詞は時を表す」と説明される。実際、アリストテレスも大昔にそう定義した。でもこの本は、そこに待ったをかける。動詞のいちばん大事な仕事は、時を示すことではなく、言い切ることだという。

le verbe, un mot dont le principal usage est de signifier l’affirmation, c’est-à-dire, de marquer que le discours où ce mot est employé, est le discours d’un homme qui ne conçoit pas seulement les choses, mais qui en juge et qui les affirme. (the verb — a word whose principal use is to signify affirmation, that is, to mark that the discourse in which the word is used is the discourse of someone who does not merely conceive things, but judges and affirms them. フランス語引用の日本語訳・英訳は ToL による。以下同じ。)

動詞とは、その主要な用法が肯定を表すことにある語だ。つまり、この語が使われている言説が、ものをただ思い浮かべているのではなく、それについて判断し、言い切っている人の言説だ、と示すことである。

名詞「健康」 思い浮かべるだけ。まだ何も言っていない 動詞「健康である」 「本当にそうだ」という言い切りの印つき 「ピエールは生きる」は「ピエールは、生きている、である」と同じこと。 動詞一語のなかに、言い切り+内容(属詞)が両方つまっている。
名詞は思い浮かべるだけ、動詞には「言い切り」の働きが必ずついてくる。図:ToL

「ピエールは生きる」というとき、これは「ピエールは生きているである」と言っているのとまったく同じことだ。動詞「生きる」一語のなかに、「である」という言い切りの働きと、「生きている」という中身の両方が詰め込まれている。純粋に言い切りの働きだけをする動詞は、じつは「である」ただ一つ——他の動詞はみな、そこに中身(属詞)や、誰についての話か(主語の人称)や、いつの話か(時)を、まとめて背負い込んでいる。

だから、動詞の芯にあるのは時ではない。話し手が世界に向かって「これは本当だ」と踏み出す、その踏み出し方こそが動詞の正体だ。アリストテレス『命題論』が動詞を「時をともなう語」と定義したことを、この本ははっきり誤りだと言う——時は、動詞にたまたまくっついているだけの飾りにすぎない、と。

2. 一つの文の中に、実は複数の文が隠れている

次はこの本でいちばん有名な一節。次の文を、ゆっくり読んでみてほしい。

Dieu invisible a créé le monde visible.

見えない神が、見える世界を創った。

口に出るのは一文。でも著者たちは言う——この一文を言うとき、あなたの頭の中では、実は三つの判断が同時に動いている。

il se passe trois jugemens dans mon esprit … Dieu est invisible. 2. Qu’il a créé le monde. 3. Que le monde est visible.

私の精神のうちで三つの判断が起きている……1. 神は見えない。2. 神は世界を創った。3. 世界は見える。

「見えない神が、見える世界を創った」(口から出る一文) 頭の中では、実は三つの判断が同時に動いている 1. 神は見えない →「見えない神」の中に隠れている 2. 神は世界を創った これだけが表に出ている 3. 世界は見える →「見える世界」の中に隠れている 「見えない神」「見える世界」——形容詞のような一語のなかに、実はもう一つの判断が畳み込まれている。
一文の下に隠れた三判断。1と3は、2の主語・属詞のなかに畳み込まれている。図:ToL

「見えない神」の「見えない」は、じつは「神は見えない」という文が畳み込まれたものだ。「見える世界」の「見える」も同じ。だから「見えない神が見える世界を創った」は、正確には「神は見えない。その神が世界を創った。その世界は見える。」の三文を、一文に圧縮したものになる。

これを表に引っぱり出す道具が、英語の which や that にあたる関係代名詞(フランス語の qui)だ。「神、qui 見えない、が世界を創った」と書き直すと、畳み込まれていた文が姿を現す。そして著者たちは念を押す——こうした隠れた文は「しばしば私たちの精神のうちにありながら、言葉には表されない」。私たちはふだん、頭の中でいくつもの判断を同時に扱いながら、口ではその一部しか言っていない。

3. 文字と発音、そして「読み方」の新しい工夫

この本の前半(第1部)は、もっと足元の話——音と文字を扱う。母音は口を開くだけで出る音(a, e, i, o, u)。子音は、それだけでは音にならず、必ず母音とペアを組んではじめて聞き取れる音になる。

著者たちはここで、実用的な提案もしている。綴りと発音がずれているとき、文字の名前(「ビー」「シー」)ではなく、その文字が実際に出す音から教えれば、誰でも早く読めるようになる、というのだ。「あらゆる言語を楽に読めるようにする新しいやり方」——いまでいうフォニックスの考え方に近い提案を、350年以上前にしている。

まとめ——前半と後半をあわせて

見出し内容
文法とは何か話す技術。頭の中の「思い浮かべる」と「決めつける」を、そのまま写したもの
文の骨組み主語+である+属詞。「である」だけが決めつけの働き
語の最大の区別モノを指す語(名詞ほか)と、気持ち・動きを表す語(動詞・接続詞)
動詞の正体「時」ではなく「言い切ること」。他の要素はすべて後づけ
隠れた文一つの文の中に、複数の判断が畳み込まれていることがある。関係代名詞がそれを表に出す

『一般理性文法』が言いたかったのは、結局これだ——ことばの形は、頭の中の働きをそのまま写した影である。文法を学ぶことは、ルールの丸暗記ではなく、自分の頭の中をのぞきこむことに近い。

各トピックをさらに深く掘り下げる記事は、この後に続く。全体像と参考文献は「『一般理性文法』を読む」へ。