「バカ」の語源として、いちばん有名なのは、中国の故事だろう。秦の宰相・趙高が、二世皇帝の前で、鹿を「馬だ」と言って、家臣たちを試した(「指鹿為馬」)。この故事から、「馬鹿」という言葉が生まれた、という話である。新村出は、『日本の言葉』(1940) の「馬鹿考」で、この話から、検証を始める。

まず、文字を疑う

新村がまず確かめたのは、「馬鹿」という文字の古さである。(以下、引用の現代語訳は ToL による。)

馬鹿といふ文字をあてたのは、元祿時代を遡ること餘り古くは無いやうである

(「馬鹿」という文字を当てたのは、元禄時代より遡って、あまり古くはないようである。)

新村によれば、「馬鹿」の文字が見られるのは、元禄(17世紀末)のころからである。慶長のころには、「馬嫁」「破家」のような、別の当て字が使われたこともあった。「莫迦」とも書かれた。(なお、この点は、のちに新村自身が訂正する。後述。)つまり、「バカ」という言葉が先にあり、あとから、いろいろな漢字が当てられた、ということになる。

趙高の故事は、後づけの説明

では、あの有名な故事は、どう扱われるのか。

今更辯ずるまでもなく、漢學者の故事附けで取るに足らない。

(今さら論じるまでもなく、漢学者の故事つけであって、取るに足らない。)

この一文が、「馬鹿考」の最初の結論である。「馬鹿」の文字を先に当てておいて、あとから、それらしい中国の故事を結びつけた——新村は、そう見る。文字が先にあって、説明が後からつくられたことが、故事の出どころが元禄ごろから見える、という事実から、うかがえる。

ただし、新村は、俗人の通俗的な語源解釈が、文献に全く現れないわけではない、とも付け加えている。「馬嫁」「破家」といった当て字自体が、そうした通俗語源の一種だからである。

「バカ」という言葉は、いつからあるか

では、「バカ」という言葉は、いつから使われているのか。新村は、『太平記』を挙げる。南北朝のころの物語で、その巻二十三の最後の章に、美濃の武士・土岐頼遠が、上皇の行列とは知らずに、馬に乗ったまま突っかかり、護衛の者から下馬を命じられても従わず、乱暴を働いた、という不敬事件が語られている。その暴言のなかに、「〜というのは、どんなバカ者だ」という趣旨で人を罵る文句がある。普及している版本では、「馬鹿者」と字が当てられているが、神田本『太平記』などでは、「バカ者」と、片仮名で書かれている、と新村は指摘する。

つまり、「バカ」という言葉自体は、南北朝ごろから文献に現れる。「馬鹿」という漢字の由来ではなく、言葉の由来を探さなければならない、ということになる。

梵語説を、たどる

そこで新村は、言葉そのものの由来として、梵語(サンスクリット)説を検討する。「バカ」は、仏教の言葉に由来するのではないか、というのである。新村は、複数の説を並べる。

慕何は梵語はモーハ mohaであつて、翻譯名義卷六に痴と釋してあるのに正に叶ふ。

(「慕何」は、梵語の「モーハ(moha)」であって、『翻訳名義集』巻六に「痴」と解釈されているのに、まさにかなう。)

梵語の moha は、「愚かさ・無知」の意味の言葉である。中国の仏典では、これに「慕何」の字を当てた。「慕何」は「ボカ」「バカ」に近い音であり、しかも意味が「無知」である。新村は、この一致に注目する。

新村は、ほかに、「摩訶羅」という梵語(mahallaka)の音訳にも触れている。こちらは、無知とも、老いとも訳される言葉である。そして、この二つのうち、どちらが日本の「バカ」に近いか、については、新村の判断は、慎重である。二つの説のどちらとも、決めかねる。ただし、はっきりと退ける説もある。『日本外来語辞典』が「バカ」を、梵語の baka、つまり「青鷺」の意味とする説を、新村は、採らない。

退ける 趙高の「指鹿為馬」の故事 漢学者の故事附けで、取るに足らない。文字は元禄ごろの当て字 有力 梵語(サンスクリット)説:慕何(moha「痴」)または摩訶羅(mahallaka) 二つのうち、どちらかは決めかねる。僧侶の間の転訛と見る 採らない 「梵語の baka(青鷺)」説 『日本外来語辞典』の説。新村は採用できないとする 新村出の検討の結果——退ける説、決めかねる説、採らない説
「馬鹿」の語源説の検討。図:ToL

最後に:「梵語学の彌次馬」

新村は、この結論を、こう締めくくる。

梵語學の彌次馬に過ぎない私の論である

(サンスクリット学の野次馬にすぎない私の論である。)

自分の論は、梵語の専門家のものではなく、いわば「野次馬」の意見にすぎない、と、はっきり断っている。専門外の分野の知識を借りて論を立てるとき、その限界を、自分で明示する——ここにも、新村の慎重な態度が表れている。

さらに、この論を発表したあと、図書館が開いてから調べた結果、新しい事実が見つかり、前の論を訂正している(「補訂」)。「馬鹿」の二字を宛てたのは、慶長・元和年代の古い活字本の『太平記』に見えるだけでなく、天文17年編纂・元亀2年古写の『運歩色葉集』という辞書にも、「破家」「馬嫁」の当て字のほか、「馬鹿」の二字が使われ、しかも「鹿を指して馬というの意なり」という注がある、という。文字が予想以上に古かったため、新村は、前の考証を訂正しておくと書いている。ここでも、新村は、自説の不備を、自分で見つけて、素直に直している。

まとめ

論点内容
文字「馬鹿」の字は、元禄ごろから見える当て字(のち補訂で、さらに古い例を見出す)
趙高の故事「漢学者の故事附けで取るに足らない」。文字に、後から説明がつけられた
言葉の古さ『太平記』にすでに「バカ者」がある。言葉は文字より古い
梵語説慕何(moha「痴」)または摩訶羅(mahallaka)から。どちらとも決めかねる
退ける説「梵語の baka(青鷺)」説は採らない
態度「梵語学の彌次馬」と自分の立場を断り、発表後に自分で訂正する

一言でいえば——新村出は、「馬鹿」の有名な俗説を、「取るに足らない」と一蹴し、梵語説をたどったが、最後は「決めかねる」と書いた。証拠が示す範囲で退け、範囲を越えるところでは、決めなかった。