概説記事で見たとおり、アンソニーは印欧祖語の話し手を、ポントス・カスピ海草原に住んでいた人々だと考えている。その人々が、どのようにして各地へ広がっていったのか——本書のクライマックスにあたる一節を読む。

車輪が来て、荷車が来て、草原が「開いた」

紀元前3300年ごろ、この草原地帯に荷馬車が伝わる。それまで馬と徒歩に頼っていた人々は、荷車を使って、家財道具・食料・水を積み込み、数週間から数か月にわたって、川筋を離れた草原の奥深くまで、家畜の群れとともに移動できるようになった。この技術革新をきっかけに、ある文化——考古学者が「ヤムナ」(竪穴墓の意)と呼ぶ文化――が、急速に拡大する。

The Yamnaya horizon exploded across the Pontic-Caspian steppes about 3300 BCE. With it probably went Proto-Indo-European, its dialects scattering as its speakers moved apart.

(ヤムナ文化圏は、紀元前3300年ごろ、ポントス・カスピ海草原一帯に、爆発的に広がった。おそらく、印欧祖語もそれとともに広がっていった——話し手たちが互いに離れて移動するにつれて、その方言も、各地へと散らばっていったのである。)

「爆発的に広がった」(exploded) という、かなり強い動詞が使われている点に注目したい。これは比喩的な誇張ではなく、それまで数百年かけてゆっくり変化してきた文化が、荷車という一つの技術革新をきっかけに、突然、地理的な広がりの速度を変えた、という考古学的な観察を、率直に言い表したことばである。

「爆発」が、なぜ「枝分かれ」を意味するのか

ここでアンソニーが示しているのは、単なる文化の拡散ではない。一つの言語共同体が、互いに離れた場所へ、同時に、急速に散らばっていくとき、そこで話されていたことばも、当然、互いに接触を失い、別々の方向へ変化し始める。 これが、方言が分かれ、やがて別々の言語へと分岐していく、もっとも基本的な仕組みである。

ヤムナ文化圏の急速な拡大は、この特集で読んできた印欧語族の各支族——ゲルマン語派、バルト語派、スラヴ語派、イタリック語派、ケルト語派、アルメニア語、そしてすでに消滅したフリュギア語——が、まさにこの時期、この場所から分かれ始めたことを示す、考古学的な証拠として提示されている。

紀元前3300年 荷車の伝来 ゲルマン・バルト… スラヴ・イタリック… ケルト・アルメニア… 文化圏の急速な拡大は、言語共同体が枝分かれし始める瞬間でもある
ヤムナ文化圏の拡大と、印欧語族の枝分かれ。図:ToL

まとめ

論点内容
引用の要旨ヤムナ文化圏は紀元前3300年ごろ爆発的に拡大し、祖語もおそらくそれとともに広がった
技術的な引き金荷馬車の伝来により、草原の奥深くまで家畜とともに移動できるようになった
言語学的な意味急速な地理的拡散は、方言の分岐、ひいては言語の分岐の始まりを意味する

一言でいえば——一台の荷車が草原を「開いた」その瞬間が、アンソニーにとっては、印欧祖語が複数の言語へと分かれ始めた、まさにその瞬間だった。