日本語には、大きく分けて、二つの語彙の系統がある。中国から入ってきた漢語(音読みの、抽象的・学術的な語)と、もともとの日本語である和語(訓読みの、具体的・感覚的な語)である。前の記事で読んだ『草枕』の冒頭は、この二つの語彙のうち、どちらに近いだろうか。
ほぼ和語で出来た、冒頭の四句
『草枕』冒頭の四句を、もう一度見てみよう。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
「智」「情」「意地」——キーワードとなる名詞こそ、漢語(あるいは漢語的な要素)だが、動詞や形容詞の部分——「働けば」「角が立つ」「棹させば」「流される」「通せば」「窮屈だ」「住みにくい」——は、ほとんどが、和語である。読み下すと、口に馴染みやすく、平易に響く。この平易さが、前の記事で見た、対句のリズムの、聞き取りやすさを支えている。
一転して、漢語だらけの一文
だが、同じ『草枕』の、わずか数段落先には、まったく異なる文体の一文が現れる。
ただおのが住む世を、かく観じ得て、霊台方寸のカメラに澆季溷濁の俗界を清くうららかに収め得れば足る。
「霊台方寸」「澆季溷濁」——これらは、現代の読者にはほとんど馴染みのない、極めて古めかしい漢語である。「霊台方寸」は心(精神)を指す、漢籍由来の言い回しであり、「澆季溷濁」は、道徳が乱れ、濁った時代・世界を意味する。この一文は、和語の助けをほとんど借りずに、漢語の密度だけで、意味を運ぼうとしている。
同じ随筆的小説のなかの、両極端
注目すべきは、この和語中心の文と、漢語密度の高い文が、同じ作品の、同じ章の、数段落しか離れていない場所に、両方とも存在していることである。漱石は、対句のリズムで読者を引きつけたあと、より難解で、格調高い漢語の文章へと、読者を導いていく。この落差そのものが、『草枕』という作品の、独特の知的な質感を作り出している。
猫の語彙にも見られる、同じ傾向
『吾輩は猫である』の記事で見た、猫の語彙——「浩然の気を養う」「嘆賞の念」「傲然」「傍若無人」——も、この漢語密度の高い系統に属している。猫が、瑣末な出来事を語るときに使う言葉は、『草枕』の、もっとも格調高い部分の語彙と、地続きなのである。漱石は、大真面目な随筆的小説と、滑稽な猫の語りの両方で、同じ種類の漢語のストックを使い回していることになる。
読むうえで、確かめておきたいこと
第一に、「霊台方寸」「澆季溷濁」といった語の正確な出典(漢籍のどの文献に由来するか)は、この記事では特定していない。 漢学の伝統的な語彙として、当時の教養層には通用した表現、として扱う。
第二に、漢語と和語の使い分けを、量的に厳密に測定する作業(漢字の比率の統計など)は、この記事では行っていない。 あくまで、代表的な二つの文を対比させる、質的な分析にとどめている。
まとめ
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 和語中心の文 | 『草枕』冒頭の対句——平易で、口に馴染みやすい |
| 漢語密度の高い文 | 「霊台方寸のカメラ」——格調高く、難解 |
| 両者の距離 | 同じ作品の、数段落しか離れていない場所に、両方が存在する |
| 猫の語りとの連続性 | 『吾輩は猫である』の漢語も、同じ系統の語彙のストックに属する |
一言でいえば——漱石は、平易な和語と、格調高い漢語という、二つの語彙を手放さず、作品のなかで、その両方を、自在に行き来させていた。