古英語には、名詞に格変化があり、文法上の性別(男性・女性・中性)があった。現代英語は、そのほとんどを失っている。ドイツ語やロシア語のように、今も格変化を保っている言語と比べると、なおさらそう見える。これを聞くと、「英語は昔より単純になった=退化した」と考えたくなるかもしれない。イェスペルセンは、この直観に真正面から挑む。

「退化」説の裏にある思い込み

古い言語ほど複雑で、新しい言語ほど単純——たしかに事実としてはそのとおりだ。だが「複雑=優れている」「単純=劣っている」という評価は、また別の話だとイェスペルセンは言う。この二つを無意識に一つに束ねてしまうところに、「言語は堕落している」という嘆きの正体がある。彼は第17章の終わり、「最終的な答え」と題した節で、こう結論づける。

…in all those instances in which we are able to examine the history of any language for a sufficient length of time, we find that languages have a progressive tendency… the sum total of these changes… shows a surplus of progressive over retrogressive or indifferent changes, so that the structure of modern languages is nearer perfection than that of ancient languages. (……ある言語の歴史を十分な期間にわたって調べられる場合、私たちはいつも、言語には進歩する傾向があることを見出す。……これらの変化の総量は、後退的あるいは中立的な変化よりも、進歩的な変化のほうが上回っていることを示す。そのため、現代の言語の構造は、古代の言語の構造よりも、完成に近い。)

格変化や性の区別を失ったことは、言語が壊れた証拠ではなく、言語が磨かれた証拠だ——これがイェスペルセンの立場である。もちろん、あらゆる変化が一直線に「良くなる」方向へ進むわけではないし、進歩が意図的に達成されたわけでもない、と彼自身も釘を刺している。多くの変化は、最初はただの言い間違いや、その場しのぎの省略から始まる。それでも、長い時間軸で見たときの収支決算は、進歩の側に傾いている、というのが彼の見立てだ。

「川底で磨かれた石」の比喩を、ひっくり返す

この主張を説明するために、イェスペルセンはある比喩を持ち出す。言語学者アウグスト・シュライヒャーは、かつてゴート語と現代語を比べて、こう述べていた——「私たちの単語は、ゴート語の単語と比べると、長いあいだ川底を転がってきた彫像のようなものだ。美しい手足はすり減り、もとの姿をかすかに示す、磨かれた円柱のような石だけが残っている」。彫刻としての価値が失われた、という嘆きである。

イェスペルセンはこれを引いたうえで、話を逆手に取る。もしその彫像を、美術品として台座に飾るのでなく、実際に何かの役に立てなければならないとしたらどうか——ごつごつして、一回転させるたびに引っかかる不格好な彫像と、滑らかで、扱いやすく、よく油の効いたローラー、どちらが優れているか。同じ「すり減り」という一つの事実を、美術品としての損失と見るか、道具としての改良と見るかは、見る側がどんな基準を持ち込むかで、まったく逆の結論になる。

シュライヒャーの見方 古語=彫刻としての彫像 美しい手足がすり減った、という嘆き イェスペルセンの反転 現代語=よく油の効いたローラー 実際に使うなら、どちらが優れているか? 「美しさ」ではなく「使いやすさ」を基準にすれば、単純化は退化ではなく進歩になる
彫像かローラーか——イェスペルセンの反転。図:ToL

美術品としてではなく、道具として

この比喩が突いているのは、評価の基準そのものだ。言語を彫刻作品として愛でるなら、複雑な語形変化の豊かさは美点かもしれない。だが言語を日々使う道具として見るなら、話が変わってくる。少ない労力で、誤解なく、すばやく意思を伝えられることのほうが価値が高い。格変化が減った分、語順が固定され、前置詞が代わりに働くようになった——これは欠落ではなく、役割の入れ替えにすぎない、とイェスペルセンは論じる。「進歩か衰退か」という問いは、実は「何を基準に評価するか」という、もっと手前の問いに依存している。「昔の英語は語形が豊かで美しかった」という嘆きそのものは間違っていない。ただし、それは美術品としての評価であって、日々の伝達手段としての優劣とは、そもそも別の軸で測るべきものなのだ。

まとめ

論点内容
通俗的な見方古語は複雑で豊か、現代語は単純で貧しい=退化
イェスペルセンの反論長期的に見ると、言語には進歩的な変化のほうが多い
使った比喩シュライヒャーの「川で磨かれた彫像」を、あえて「よく油の効いたローラー」に読み替える
論点の核心「美術品としての価値」と「道具としての実用性」、どちらを基準に評価するか

一言でいえば——格変化を失った現代英語は、彫刻としては貧弱に見えるかもしれない。だが日々の意思疎通の道具として見れば、それは退化ではなく、磨き上げられた結果だ。「昔のほうが豊かだった」という嘆きに出会ったら、まず聞き返す価値がある——豊かさを測る物差しは、本当に一つしかないのか、と。