概説記事で予告した、一つ目の言葉は「とても」である。次の二つの文を、比べてほしい。
- とても面白い映画だった。
- とても最後まで見られなかった。
どちらも、現代の日本語として自然である。前者は「非常に」、後者は「どうやっても〜ない」に近い。同じ「とても」が、まったく違う働きをしている。
1940年の新村出は、こう見ていた
新村出は、『日本の言葉』(1940) の「山言葉」と「とても補考」という二つの章で、この「とても」を取り上げている。彼が注目したのは、前者の使い方——「とても面白い」のように、肯定の内容につけて「非常に」の意味で使う言い方である。
新村の観察は、こうだった。この言い方は、近年、日本アルプスのあたりの山言葉から出て、都会にも広がり、急速に若い世代に普及した言葉づかいである。新村自身を含む「老生」たちは、ほとんど使わず、むしろ耳に異様に聞こえる、と書いている。
つまり、1940年の時点で、「とても面白い」は、まだ新しい、耳慣れない言い方だった。それ以前の「とても」は、「とても〜ない」のように、否定の言葉と組み合わせて使うのが、ふつうだったのである。
なぜ、否定とだけ結びついたのか
では、もともとの「とても」は、何だったのか。新村は、次のように考えた。
「とても」は、もと「とてもかくても」の省略形である。 「とてもかくても」は、「どうやっても」「どちらにしても」「結局は」という意味の言い方だった。「とても」だけになっても、この「どうやっても・結局」の意味は残る。
この意味は、否定と、たいへん相性がいい。
- どうやっても、できない。→「とても、できない」
- どちらにしても、間に合わない。→「とても、間に合わない」
「どうやっても〜ない」という、否定の意味の強い表現が、日常のなかで、しだいに「とても+否定」の形で定着した。その結果、「とても」といえば否定、という感覚が、ふつうになったと考えられる。
それでも、肯定に使われた例はあった
ただし、話はこれで終わらない。新村は、古い文献を調べると、「とても」が、肯定的な文脈で使われた例もあることを見つけた。たとえば、能や謡曲のなかには、「どうせ」「いずれにしても」の意味で、肯定にも否定にも使われる「とても」が出てくる。つまり、「とても」は、もともと、否定専用ではなかった。
新村の観察を時間の順に並べ直すと、次のようになる。
- 昔:「とても」は、「どうせ」「どうやっても」の意味で、肯定にも否定にも使えた。
- その後:否定と組み合わせて使う場面が増え、「とても+否定」がふつうになった。
- 1940年ごろ:山言葉などから、肯定と結びついた「非常に」の意味の新しい言い方が広がった。
この最後の新しい言い方を、新村は「流行語」として観察していたのである。詳しい証拠は、原文精読の記事で、原文に戻って確かめる。
ここで、確かなことと、そうでないこと
この記事で紹介したのは、新村出の見方である。「とても」の語源が「とてもかくても」の省略だという説は、新村自身が「所詮、結局の意から転化したのであろうと思う」と、推量の形で述べている。また、「山言葉から広まった」という流行の経路も、新村が同時代に聞いた話を、確かめきれない形で伝えたものである。現在の語源研究での扱いは、判定の記事で整理する。
まとめ
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 観察 | 1940年の新村は、「とても面白い」を、山言葉から広まった新しい流行語として見ていた |
| もとの意味 | 「とてもかくても」の省略で、「どうやっても」「結局は」の意味 |
| 否定との相性 | 「どうやっても〜ない」の形で使われ、「とても+否定」が定着した |
| 古い用例 | 肯定的な文脈にも、「どうせ」の意味で使われた例がある |
一言でいえば——「とても」は、もと「どうやっても」の意味の言葉だった。それが否定と結びついて定着し、のちに「非常に」の意味で、肯定にも使われるようになった。その途中の姿を、1940年の新村出は、目の前で観察していた。