この記事で分かること
- 言葉が「個人にも社会にも変えられない」のに、なぜ「時間とともに変わる」のか
- ソシュールが挙げた、言葉が簡単には変えられない四つの理由
- 「言葉の乱れ」「新しい言葉」の話題を、この枠組みでどう見られるか
先に結論です。 言葉は、どの時代でも、前の世代から受け継いだものとして、あらかじめ与えられています。だから、誰も勝手には変えられません(不変性)。ところが、まさに時間の中を受け継がれていくから、少しずつずれていきます(可変性)。ソシュールは、この二つを「連帯している」と述べます。変化は、連続の裏返しなのです。
引用は1916年のフランス語原典(第1部 第2章 §1・§2)から。日本語訳は ToL によります。
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前の記事までで見たように、記号とシニフィエの結びつきには、必然性がありません(恣意性)。それなら、言葉は、自由に作り直せるのでしょうか。ソシュールの答えは、逆です。
Si par rapport à l’idée qu’il représente, le signifiant apparaît comme librement choisi, en revanche, par rapport à la communauté linguistique qui l’emploie, il n’est pas libre, il est imposé. La masse sociale n’est point consultée, et le signifiant choisi par la langue, ne pourrait pas être remplacé par un autre. Ce fait, qui semble envelopper une contradiction, pourrait être appelé familièrement « la carte forcée ». On dit à la langue : « Choisissez ! » mais on ajoute : « Ce sera ce signe et non un autre. » Non seulement un individu serait incapable, s’il le voulait, de modifier en quoi que ce soit le choix qui a été fait, mais la masse elle-même ne peut exercer sa souveraineté sur un seul mot ; elle est liée à la langue telle qu’elle est.
ToL訳 シニフィアンは、それが表す観念との関係では、自由に選ばれたように見える。ところが、それを使う言語共同体との関係では、自由ではなく、押しつけられている。社会の大衆は、意見を求められない。言語が選んだシニフィアンを、別のものに取り替えることはできない。矛盾を含むように見えるこの事実を、くだけた言い方で「強制されたカード」と呼んでもよい。言語に向かって「選びなさい!」と言いながら、「それはこの記号で、ほかのではない」と付け加えるのだから。個人は、望んだとしても、すでになされた選択を何一つ変えられない。大衆自身も、たった一つの語に対してさえ、主権を行使できない。大衆は、あるがままの言語に縛られている。
ところが、同じ章の後半で、話は反転します。
Le temps, qui assure la continuité de la langue, a un autre effet, en apparence contradictoire au premier : celui d’altérer plus ou moins rapidement les signes linguistiques et, en un certain sens, on peut parler à la fois de l’immutabilité et de la mutabilité du signe.
ToL訳 言語の連続性を保証する時間には、もう一つ、一見すると前者と矛盾する効果がある。言語記号を、速かれ遅かれ変質させることである。ある意味で、記号の不変性と可変性を、同時に語ることができる。
En dernière analyse, les deux faits sont solidaires : le signe est dans le cas de s’altérer parce qu’il se continue. Ce qui domine dans toute altération, c’est la persistance de la matière ancienne ; l’infidélité au passé n’est que relative. Voilà pourquoi le principe d’altération se fonde sur le principe de continuité.
ToL訳 結局のところ、二つの事実は連帯している。記号が変質しうるのは、それが続いていくからである。あらゆる変化で支配的なのは、古い素材が持続していることであり、過去への不忠実は、相対的でしかない。だから、変化の原理は、連続性の原理に基づいている。
解説1:「強制されたカード」とは
「carte forcée」は、手品の用語です。観客に「好きなカードを選んでください」と言いながら、実際には、特定のカードが選ばれるよう、仕向けること。ソシュールは、言語は、選択の自由を与えるふりをして、実は一つしか差し出さない、とたとえます。
この選択は、二つの方向で見えます。
- 観念との関係では、自由。 〈犬〉という概念に、「いぬ」という音が結びつく必然性はない。だから、他の言語では、dog にも Hund にもなる。
- 共同体との関係では、不自由。 日本語の話者にとって、〈犬〉を表す記号は「犬(いぬ)」であって、他のものではない。
試しに、「今日から、犬のことを『ネコ』と呼ぶことにしよう」と宣言してみてください。個人が決めても、通じません。ソシュールは、社会全体(「大衆」)でさえ、一つの語に対しても主権を持たない、と言います。
解説2:なぜ変えられないのか——四つの理由
ソシュールは、ここで、言語が簡単に変えられない理由を挙げます(原文の続き、ToL による要約)。
| # | 理由 | 日本語で考える |
|---|---|---|
| 1 | 記号が恣意的だから、議論の足場がない | 結婚の形なら、理屈で優劣を議論できる。だが、「なぜ『犬』であって『猫』でないのか」に、理屈の決め手はない。そのため、改めようにも、議論が成り立たない |
| 2 | 記号の数が膨大 | 数十の文字なら、別の体系に置き換えられる。だが、語は無数にある |
| 3 | 体系が複雑すぎる | 日々使う人でも、仕組みを意識していない。専門家の介入では、うまくいかなかった |
| 4 | 集団の惰性 | 法律や儀礼と違い、言語は、全員が、一日中使う。だから、全員の習慣が、変化を押しとどめる |
特に、4番について、ソシュールは、「この考察が他のすべてに勝る」と述べています。言語は、社会のあらゆる制度のなかで、いちばん、個人の思いつきによる改革を受けつけない、というのです。
解説3:それでも変わる——「ずれ」としての変化
では、なぜ変わるのでしょうか。引用の結論は、「記号が続いていくから変わる」でした。受け継ぐたびに、ほんの少しのずれが生じ、それが、長い時間をかけて積もります。
ソシュールが、ここで注意を促すのは、「変化」を、音の変化や意味の変化だけと考えないことです。どんな要因でも、結果は、シニフィエとシニフィアンの関係が、ずれることに行き着きます。彼は、ラテン語 necāre(殺す)が、フランス語 noyer(溺れさせる)になった例を挙げます。音も意味も変わっているが、二つを分けて考える必要はなく、両者の結びつきが緩み、ずれたと見ればよいのです。
日本語で、この「ずれ」を確かめられる例があります。
- 「やばい」:もとは、不都合で危険な様子を表すことばとして使われてきました(語源には諸説あります)。現在は、「このラーメン、やばい!」のように、肯定的に「すごい」の意味でも使われます。音(シニフィアン)は、ほとんど変わらず、結びつく意味(シニフィエ)が広がった例です。
古い語形や意味が、完全に消えるわけではありません。「やばい」は、否定的な意味でも、いまも使われています。変化の中心にあるのは、古い素材が続いていることで、これを、ソシュールは、「過去への不忠実は相対的でしかない」と言いました。
解説4:「言葉の乱れ」をどう見るか
この枠組みから、日常の議論を、いくつか整理できます。
- 「新しい言葉は、誰かが決めて広まるのか」:個人が新語を作っても、集団が採用しなければ消えます。集団が採用するとき、それは、すでに「受け継ぐもの」の一部になっています。
- 「言葉の乱れ」への違和感:自分が受け継いだ形(子どもの頃に身につけた用法)と、ずれた形を聞くと、違和感が生じます。これは、不変性の側から、可変性を見たときの感覚です。
- 「正しい言葉」を決められるか:ソシュールの議論は、「言語は専門家の判断では変えにくい」と述べるまでです。辞書や、規範の役割そのものは、ここでは論じられていません。
解説5:言語の「起源」は問わない
ソシュールは、この章で、一つの方針を示します。どんな社会も、言語を、「前の世代から受け継いで、そのまま受け取るもの」としてしか知らない。だから、言語の起源の問いは、思われているほど重要ではない。ことさら問うことでもない。言語学の唯一の現実の対象は、すでにできあがった言語の、ふつうの規則的な生活だ、というのです。
これは、同時代の、言語起源をめぐる議論への、距離の取り方でもあります。(森鷗外「言語の起原」附記を読むなど、起源論の記事と読み比べてください。)
まとめ
- 不変性:言語は受け継がれたもので、個人も社会も、勝手には取り替えられない。
- 可変性:同じ時間の流れの中で、記号は、少しずつずれていく。
- 二つは「連帯」している。変化は連続の裏返し。
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