有限状態モデルを退けたあと、『統辞構造論』第4章が導入するのは句構造文法——当時の構造言語学で主流だった「構成素分析」を、書き換え規則の体系として形式化したものだ。「Sentence → NP + VP」のように、一つの記号を別の記号列に置き換える規則を、決まった手順で頭から適用していく。この規則の集合を、チョムスキーは記号Σ(初期記号の集合)とF(規則の集合)を使って[Σ, F]文法と呼ぶ。

これは有限状態モデルより明確に強力だ。だが第5章は、句構造文法がまだ足りないことを、三つの実例で示していく。

1. 等位接続——「and」はどこに挿せるか

まず、接続の規則。次の二文を見てほしい。

この二つの文の共通する構成素——両方とも文末に”the river”がある——を軸に”and”でつなげようとすると、うまくいかない。“the liner sailed down the and tugboat chugged up the river”は、英語として成立しない。

いっぽう、次のような文なら、共通の構成素を”and”でつなげられる。

何が違うのか。後者では”of the movie”と”of the play”が、同じ種類の構成素として、きれいに置き換え可能な位置にある。前者ではそうなっていない。つまり「“and”で結んでよいのは、同じ種類の構成素どうしだけ」という規則を立てれば、うまく説明がつく。

だが、この規則には重大な問題がある。

we cannot incorporate the rule (26) or anything like it in a grammar [Σ, F] of phrase structure, because of certain fundamental limitations on such grammars. (規則(26)やそれに類するものは、[Σ, F]型の句構造文法には組み込めない。この種の文法には、根本的な限界があるからだ。ToL訳)

なぜか。書き換え規則X→Yは、文字列の今の形だけを見て働く。ところが「同じ種類の構成素かどうか」を判定するには、その部分がどんな導出の道筋(=句標識のどの節から来たか)をたどって今の形になったのか——履歴を知らなければならない。[Σ, F]文法には、この「過去を振り返る」機能がそもそも備わっていない。

2. 離ればなれの部品——助動詞句

第二の問題は、助動詞の組み立てだ。英語には”has been reading”のような形がある。これは”have…en”と”be…ing”という、二つの不連続な部品が組み合わさってできている。

has been reading have(→has) ……… en ここに合流 ……… be(→been) have と en は離れて働く一つの部品。be と ing も同様——「不連続な要素」と呼ぶ。
「不連続な要素」——have…en、be…ing はそれぞれ、間に他の部品を挟んで初めて一つの意味をなす。図:ToL

チョムスキーはこれを、助動詞句をAux → C (M) (have+en) (be+ing) と分析し、そのあとに「接辞(Af)と、その右にある語根(v)を入れ替えて、Af+v を v+Af に書き換える」という補助規則を適用することで処理する——この補助規則がまさに”読んでいた”型の語順を実現する。だが、この二段構え自体が、単純な書き換え規則の枠をすでにはみ出している。規則の適用に、別の規則の結果を「見越す」段取りが要る——これも、書き換え規則一発では書けない。

3. 受動文——入れ替えという操作

三つ目、そしてもっとも重い実例が、能動文と受動文の関係だ。

“everyone in the lab considers John incompetent”(研究室の全員がジョンを無能だと考えている)を受動文にすると、“John is considered incompetent by everyone in the lab”(ジョンは研究室の全員から無能だと考えられている)になる。この変換には、主語と目的語を入れ替えることが不可欠だ、とチョムスキーは論じる。

単に「NP₁ - Aux - V - NP₂」を「NP₁ - Aux+be+en - V - by+NP₂」と書き換える(入れ替えない)案も一見ありえそうだが、これは”John admires sincerity”(ジョンは誠実さを称賛する)のような文の組を見ると破綻する。“sincerity is admired by John”(誠実さはジョンによって称賛される)は自然だが、逆に”sincerity admires John”のような文は成立しない——つまり能動文の主語・目的語には、互いに入れ替え可能な非対称なペアの関係があり、受動文はその逆向きの関係を再現しなければならない。単純な要素追加ではなく、位置の交換こそが本質なのだ。

しかもこの入れ替えは、文字列の中身だけを見る規則には書けない。受動文を作るには、「どの部分が主語で、どの部分が目的語か」という、句構造の履歴を読み取る必要がある。

三つの実例が指す、一つの結論

等位接続、不連続な助動詞、受動文——三つとも、単純な書き換え規則の限界を、それぞれ違う角度から突いている。共通するのは、文字列の「今の形」だけでは足りず、「どう作られたか」という履歴を参照しなければならないという点だ。この壁を越えるために、チョムスキーは「変形」という、文をまるごと別の文へ書き換える、より強力な規則を導入する。その具体的なしくみ——否定・疑問・do の挿入——は、次の記事で見ていく。