概説記事で述べたとおり、有坂秀世は、古い日本語の母音の研究のほかに、『音韻論』(1940) という本で、「音」とは何かという問いそのものを組み立てた。その入口を、身近な例で確かめてみよう。
「ん」を、口の中で観察する
次の三つの語を、ゆっくり声に出して、「ん」を言っている間、口の中がどうなっているかを観察してみてほしい。
- さんま——「ん」の間じゅう、唇が閉じている。
- さんた——「ん」の間、舌先が上の歯の裏あたりに触れている。
- さんかく——「ん」の間、舌の奥が上あごについている。
同じ「ん」と書き、同じ「ん」だと感じているのに、口の中の動きは、三つとも違っている。実際の音でいえば、それぞれ [m](唇を閉じた鼻音)、[n](舌先の鼻音)、[ŋ](舌の奥の鼻音)に近い。語の終わりの「本」の「ん」は、また別の、口の奥で響く鼻音になる。
それぞれの「ん」は、物理的には、別々の音である。 それなのに、日本語を話す人は、これらを聞き分けようとせず、ぜんぶ同じ「ん」として扱う。
音声と音韻
ここで、二つのことばを区別する。
- 音声——実際に口から出る、物理的な音。一つ一つ、微妙に違う。
- 音韻——その言語の話し手が、「同じ」と感じて、一つのまとまりとして扱っている、音の種類。
「さんま」「さんた」「さんかく」の「ん」は、音声としては別々だが、日本語の音韻としては、一つの「ん」である。音韻は、その言語の中で、語の違いを区別するのに役立つ音の単位、と言ってもよい。日本語では、[m] と [n] の違いで、語の意味が変わることが少ない(後ろの子音によって自動的に決まる)ので、[m] も [n] も [ŋ] も、一つの「ん」にまとまる。
同じことは、他の言語との比較でも見える。日本語のラ行の子音は、英語の l とも r とも違う、独特の音だが、日本語の話し手にとって、l と r の違いは、語を区別する働きを持たない。だから、日本語の話し手は、英語の “light” と “right” を、同じように聞きがちになる。音韻は、言語ごとに違う、「同じ」と「違う」の境界線である。
有坂秀世が見ていたもの
『音韻論』(1940) は、まさにこの、音声と音韻の区別を、日本語をはじめ、さまざまな言語の例を挙げながら、組み立て直した本である。たとえば、有坂は、東京の「ウ」の音について、見かけは、口の奥のほうで、唇を丸めない母音のようだが、実際には、舌の位置が口の中央よりの、中舌的な音だと述べている(68頁)。英語の “oo” のように唇を丸めて突き出す音とは、はっきり違う。日本語の「ウ」は、音声としても、ヨーロッパの言語の母音に、そのまま当てはめにくい、独特の音なのである。
そして有坂は、この音声と音韻の関係を、さらに一歩進めて、音韻とは、そもそも何なのかという問いに踏み込んでいく。その核心にある、「貨幣」のたとえと、「祖先から受け継いだ制度」という見方を、続く二つの記事で、原文で読む。
まとめ
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 音声 | 実際に口から出る、物理的な音。一つ一つ微妙に違う |
| 音韻 | その言語の話し手が、「同じ」と感じて、一つにまとめている音の種類 |
| 「ん」の例 | さんま・さんた・さんかくの「ん」は、音声としては別々だが、日本語の音韻としては一つ |
| 言語ごとの違い | 何を「同じ」とみなすかは、言語によって違う(日本語のラ行と、英語の l・r) |
一言でいえば——私たちが耳で感じる「同じ音」は、物理的な音の同一性ではなく、日本語という言語が引いた、境界線の内側にあるという意味での同一性である。その境界線が音韻であり、有坂は、それが何であるかを問うた。