第二章の第二節「散文と韻文」は、この章でいちばん長く、約1万字ある。西洋と日本、それぞれの韻文・散文の歴史を辿りながら、三島は、日本語の音のリズムについての、独自の見立てを示す。(ページ数は、全体像の記事で述べた版による。)
西洋は韻文から、日本は?
西洋の文学史は、韻文から始まった。ギリシアで散文が生まれたのは、歴史文学が出て以後のことで、それ以前は、叙事詩も劇も抒情詩も、すべて韻文だった。日本の文学も、『万葉集』のような大きな詩集が、古い時代にできた。ただし、その前の『古事記』は、語部の語り伝えた文章で、ところどころ韻律的な箇所はあっても、全体を韻文とは言えない、と三島は言う。
頭韻のない言語で、頭韻を試みる
三島は、日本語の音韻上の制約を、はっきり指摘する。日本語には、頭韻に類したものをつけるのがむずかしく、脚韻もない。それでも、『万葉集』には、古代人のたわむれによって、頭韻的なものが、何度か試みられた。厳密な頭韻ではないが、枕詞の使用によって、頭韻的な効果を出したものも多い、と言う。
三島は、持統天皇と、その乳母だった志斐嫗のあいだで交わされた歌を、例に挙げる。
不聴(いな)といへど強ふる志斐(しひ)のが強語(しひがたり)このごろ聞かずて朕(われ)恋ひにけり(持統天皇、志斐嫗に賜へる御歌)
いなといへど語れ語れと詔(の)らせこそ志斐いは奏(まを)せ強語(しひがたり)とこの(志斐嫗の和へ奉れる歌)
そして、もう一首。
ははそばの母のみことおほろかにこころつくしておもふらむその子なれやも
三島は、ホメロスの「燦めく眼の女神アテーネー」という句も、一種の枕詞だと指摘し、東西で軌を一にしていることを、面白いと言う。
三十一文字と七五調——「日本語の黄金分割」
『万葉集』の長歌の時代を過ぎると、日本語の詩は、三十一文字だけになった。それ以後は、輸入の漢詩に頼るほかなかった、と三島は言う。この三十一文字の、五・七・五・七・七の法則は、こう評される。
たとえば日本語の黄金分割のように動かされない韻律上の法則になり、(p.24)
この七・五調ないし五・七調は、長く語りものの伝統になり、戦記物から、仏教の和讃、古浄瑠璃、そして浄瑠璃の全盛時代を通じて、一般の散文にまで、浄瑠璃を模した文体が広がった。幕末には、河竹黙阿弥が、七・五調の台詞を完成させ、その影響は、明治の坪内逍遙『桐一葉』や、シェイクスピアの最初の翻訳にまで及んだ、と三島は述べる。
現代に生きる七五調
七・五調の伝統は、今も、意外な形で生きている、と三島は言う。
「注意一秒 怪我一生」「ライトはいつも下向きに」「ハンドルは腕で握るな心で握れ」
「くしゃみ一回 ルル三錠」「父さん温泉 僕スキー」「有楽町で逢いましょう」
われわれは、七・五調の文章そのものには、もうなじめない。しかし、七・五調の持つ、日本語独特のリズムは、どこかに巣くっている、と三島は言う。
視覚の文字と、耳の文字
三島は、もう一つの対比を出す。日本語は、象形文字(漢字)を持つために、文章の視覚的効果と聴覚的効果の、両方を、ほとんど本能的に考える。三島が、ある外国人の小説家に、印刷の視覚的効果を考えるか尋ねたところ、「絶対にない」という答えだった、というエピソードを挙げる。
ここで、三島は、伊藤整が、『女性に関する十二章』のなかで創始した、漢語を頻繁に片カナで書く手法に触れる。
たとえば伊藤整氏が『女性に関する十二章』のなかで、頻繁に漢語を片カナで書く手法を創始しました。(p.28–29)
漢語を片カナで書くことは、不思議なパロディの効果を生み、抽象概念の尊大さを剝奪する、滑稽な効果がある、と三島は言う。同時に、漢字によって、われわれは視覚美という厄介なものを学び、かなの文章が持っていた、透明な情念の連鎖を失った、とも述べる。だから、谷崎潤一郎が『盲目物語』で試みたような、平がなばかりで現代小説の文体を作ることは、単なる復古的な試みにすぎない、と三島は結論する。
西鶴と、双面神の文体
節の終わりに近く、三島は、井原西鶴の文章を、韻文と散文の混淆の、極端な例として挙げる。元禄時代の西鶴の文章には、商人の金もうけや、打算や、娼婦の心理的かけ引きが描かれ、もはや平安朝のような透明な散文では綴れなくなって、独特の個性的なリズムによって、「散文であると同時に韻文でもあるという、双面神のようなデコレイティヴな文体」に結晶した、と三島は評する(要旨、p.26付近)。三島は、日本では、散文と韻文を、それほど区別する必要はない、と自分の考えを述べている。
読むうえで、確かめておきたいこと
第一に、万葉集の頭韻的な試みは、あくまで「厳密な頭韻ではない」と、三島自身が断っている。 枕詞を頭韻の一種として説明するのは、三島の解釈であり、国語学上の標準的な分類とそのまま一致するかは、この記事では確認していない。
第二に、七五調が現代の標語や広告文句に生きているという指摘は、具体例が挙がっており、確かめやすい主張である。 一方、「日本語の黄金分割」という評価は、三島の美的な評価であって、数量的に検証されたものではない。
第三に、パブリックドメインの古典(万葉集、源氏物語、平家物語、好色一代男)からの引用は、三島の著作権とは別に、原典として扱っている。 これらは、三島の解釈を離れて、それ自体で読むことができる。
まとめ
| 論点 | 内容 |
|---|---|
| 西洋と日本 | 西洋は韻文から始まる。日本の古事記は全体を韻文とは言えない |
| 万葉集の工夫 | 頭韻・脚韻がない日本語で、枕詞により頭韻的な効果を試みた |
| 三十一文字 | 五・七・五・七・七が「日本語の黄金分割」。七五調は戦記物から浄瑠璃、現代標語へ |
| 視覚と聴覚 | 象形文字ゆえに視覚効果も意識する。伊藤整・谷崎の実験 |
| 西鶴 | 散文でありながら韻文でもある、独特のデコレイティヴな文体 |
一言でいえば——三島は、頭韻も脚韻も持たない日本語が、枕詞と七五調で、独自の音のリズムを作り上げ、それが今も標語のなかに生きている、と見た。