第3章は、意図明示コミュニケーションが、心の中でどう成り立つかを扱う。鍵になるのは、語用論能力(文脈から意図を読み取る力)である。
ハンプティ・ダンプティの教訓(3-1)
『鏡の国のアリス』で、ハンプティ・ダンプティは、自分が使う言葉は、自分が意味させたいことを意味するのだ、と言い張る。本は、これを、字義以上のことを聞き手が読み込むという事実の、極端な例として使う。聞き手の側が、話し手の意図を推論できなければ、コミュニケーションは失敗する(pp.109–113)。
グライスの協調の原理(3-2)
哲学者グライスは、会話を、協調的な営みとして説明した。話し手は、次の四つの格率に従うのがふつうだ、という(p.115)。
| 格率 | 内容 |
|---|---|
| 質 | 真実を言え |
| 量 | 多すぎず少なすぎず言え |
| 関係 | 関係のあることを言え |
| 様態 | 明瞭かつ簡潔に言え |
「ビルはどこ?」に「スーの家の前に黄色いフォルクスワーゲンがある」と答えるのは、字義どおりには質問に答えていない。けれど、聞き手は、「ビルは黄色いフォルクスワーゲンを持っていて、いまスーの家にいるのだろう」と推論する(pp.115–116)。
関連性理論という別の道(3-3)
スペルベルとウィルソンの関連性理論は、この考えを、認知の言葉で組み替える。中心は、関連性という概念である。ある情報の関連性は、
- プラスの認知効果(心の中に価値ある変化をもたらすこと)が大きいほど高く、
- 処理労力が小さいほど高い(p.120)。
たとえば、アリスに年齢を尋ねる場面。「七歳六カ月です」は、「十八歳未満です」より、価値ある情報を含み、処理労力はほぼ同じなので、関連性が高い。長い計算式で答えるのは、労力ばかりが増える(p.121)。
理論は、二つの原理を立てる。
- 認知的原理:人の認知は、関連性を最大にする方向に働く。何に注意を向けるかも、それで決まる(pp.122–123)。
- 伝達的原理:あらゆる意図明示的な刺激は、それ自体に最適な関連性が見込めることを伝える(pp.124–125)。
つまり、相手が何かを「わざと」示したなら、聞き手には、注意を払う価値があるはずだ、と期待できる。この二つがあるから、意図明示コミュニケーションが可能になる(p.129)。
再帰的読心(3-4、3-5)
意図明示コミュニケーションには、他者の心を読む力(心の理論)が要る。しかも、入れ子になる。「私は、あなたが、私が知っていることを知っていると、知っている」というように、再帰的に重なる(pp.131–134)。
第3章は、この「読心」の研究を検討する。
- 誤信念課題(サリーがボールを箱に入れる話)に、四歳未満の子どもは、ふつう正答できない(p.143)。
- 一方で、視線などを使う非明示的な課題では、乳児の段階で成功する例が報告されている(p.146)。
- 自閉スペクトラム症の人にも、語用論能力があるのに、誤信念課題に失敗する人がいる(pp.144–145)。
著者は、これらを、「読心は認知的に大変」という前提を疑う材料として使い、読心は、多くの場合、速く無意識に行われる、と論じる(pp.147–153)。
協調とコミュニケーション(3-6)
トマセロの「意図性の共有」という考えにも触れる。人間は、共同の目標を、自分たちのものとして心に抱ける。著者は、コミュニケーションの協調を、次の二つに分ける(p.155)。
- 伝達的協調:聞き手が意図を推論できるように、言語コードを慣習どおり使うこと。
- 情報的協調:だますつもりがなく、正直に伝えること。
この区別は、第6章で、正直と不正直の問題に戻ってくる、とされる。
読むうえで
グライス派と関連性理論は、著者が選んだ枠組みで、他の語用論の理論もある。著者も、関連性理論を、「一つの選択肢として、実証に耐えると考える」という立場で使っている(p.130)。