一般理性文法(Grammaire générale et raisonnée)』は、1660年にパリで匿名で出た、200ページほどの小さな本である。書いたのは二人。アントワーヌ・アルノー(1612–1694)は、ジャンセニスムの中心にいた神学者・論理学者で、「大アルノー(le Grand Arnauld)」と呼ばれた。クロード・ランスロ(1615ごろ–1695ごろ)は、修道院ポール・ロワイヤルが運営した「小学校(Petites Écoles)」の文法教師で、ラテン語・ギリシア語・イタリア語・スペイン語の画期的な学習法書『新しい方法(Nouvelle Méthode)』の著者だった。言語の材料はランスロ、その哲学的な枠組みはアルノー——というのが通説だが、二人の手の配分は今も議論がある。

ポール・ロワイヤルは、恩寵をめぐって当時のカトリック主流やイエズス会と鋭く対立した、厳格な信仰運動の拠点だった。運動は断続的に迫害を受け、やがて修道院そのものが取り壊される。本書が匿名で出たのも、著者たちが論争の渦中にいたからだ。「小学校」は少人数制で、母語を通じて古典語を学ばせるなど、当時としては先進的な教育を実践した。『一般理性文法』は、その教育の現場から生まれた——ただし著者たちは序文で、これは子ども向けの入門書ではなく、すでに諸言語の初歩を身につけた者が「文法の一般原理」を深めるための本だ、と断っている。実際、本書は17〜18世紀を通じて版を重ね、各国語に訳され、長く読まれ続けた。

この本には姉妹編がある。二年後に出た『論理学、または考える技法(La Logique ou l’art de penser)』(アルノーとピエール・ニコル、1662、通称ポール・ロワイヤル論理学)だ。文法と論理学、この二冊は対をなす。デカルト以後の合理主義を、言語と思考の両面から一つの企てにまとめたものだと読める。だから本書は、ふつう「ポール・ロワイヤル文法」と呼ばれる。

1. 「文法は話す技術である」——企て

本文はこの一文で始まる。

La Grammaire est l’art de parler. Parler, est expliquer ses pensées par des signes que les hommes ont inventés à ce dessein. (Grammar is the art of speaking. To speak is to explain one’s thoughts by signs that men invented for this purpose. フランス語引用の日本語訳・英訳は L/LAB による。以下同じ。)

文法とは話す技術である。話すとは、そのために人間が発明した記号によって、自分の思考を説明することだ。

記号には二つの面がある——「音・文字としての性質」と、「思考を表すという働き」。前者を扱うのが第1部(音声と文字、全6章)、後者を扱うのが第2部(「語がとる意味の諸形式の原理と理由について」、全24章)だ。

記号(=語) その性質——音と文字 母音・子音・音節・綴り・読み方 = 第1部(6章) その働き——思考を表す 品詞・命題・統語の「原理と理由」 = 第2部(24章)
本書の二部構成。新しいのは第2部——語の分類を、慣用ではなく心の構造から導く。図:L/LAB

題名の二語が、企てを言い当てている。「一般(générale)」——一つの言語に縛られない。ラテン語・ギリシア語・ヘブライ語・フランス語を横に並べ、その違いの下にある共通のしくみを探す。「理性的(raisonnée)」——「そう言うから」ではなく「なぜそう言うのか」を問う。慣用の記述ではなく、慣用の根拠を求める。あらゆる言語の背後に、一つの文法がある、という賭けである。

この賭けは、まったくの新案ではない。ルネサンス期のスペインの文法家サンクティウス(『ミネルウァ』1587)は、ラテン語の変則を「省略された理性的な構文」として説明しようとしたし、ユリウス・カエサル・スカリゲル(『ラテン語の原理について』1540)は、品詞の区別を存在論から導こうとした。だがポール・ロワイヤルは、この方向を心の理論に接ぎ木した点で新しい。文法の根拠を、論理学と共有された「思考の分析」に置いたのだ。

なぜ「一つの文法」がありうるのか。前提はデカルト的である——理性は万人に等しく、思考の基本操作はどの言語の話者でも変わらない。ならば、その操作を写す文法の骨格も、言語をまたいで同じはずだ。個別言語が違って見えるのは、同じ操作を別々の道具立て(語順、屈折、助動詞)で実現しているからにすぎない。本書がラテン語・ギリシア語・ヘブライ語・フランス語を絶えず往復するのは、この「同じ骨格・違う実現」を実例で示すためだ。文法学習でつまずくのは、たいていなぜそうなるかが見えないときだ——本書はその「なぜ」を、慣用の暗記ではなく思考の構造で説明しようとする。

2. 文法の前に、心がある

第2部の第1章で、著者たちはいったん文法を離れ、心の話をする。「語のさまざまな意味を理解するには、まず私たちの思考のうちで何が起きているかを理解しなければならない。語は、それを表すためだけに発明されたのだから」。この一文が、本書の方法を決めている。文法の範疇は、言語のうちにではなく、思考のうちに探される。語は思考をのぞく窓であり、窓の形は部屋の間取りを写す。

哲学者の言う心の三作用は、概念する(concevoir)・判断する(juger)・推論する(raisonner)。概念とは「ものごとへの精神の単なるまなざし」——「存在」「持続」「神」のように純粋に知的なものも、「四角」「犬」のように心像をともなうものもある。

Juger, c’est affirmer qu’une chose que nous concevons est telle, ou n’est pas telle. (To judge is to affirm that a thing we conceive is thus, or is not thus.)

判断するとは、私たちが概念するあるものが、こうである、またはこうでない、と言い切ることだ。

推論は、二つの判断から第三の判断を作る操作(「すべての徳は称賛に値する/忍耐は徳である/ゆえに忍耐は称賛に値する」)で、判断の延長にすぎない。しかも人はふつう、ただ概念を口にするのではなく、概念したものについて判断を述べる。だから文法には、最初の二つ——というより、判断のうちに含まれる概念——で足りる。

この一手が、本書のすべてを決める。文法の単位を「文」ではなく「命題(=判断の言語化)」に置き、その命題を論理学がすでに分析ずみの部品(主語・属詞・繋辞)に還元する。すると、あとは「その部品を、言語はどんな語で担うか」を問うだけでよくなる。文法が、論理学の応用問題になるのだ。この還元は強力だが、代償もある——真偽をもたない文(願望・命令・問い)や、判断に還元しにくい構文は、周縁へ追いやられる。20世紀の言語行為論(オースティン)が「祈りや命令も一人前の発話だ」と論じ直すのは、この周縁を中心に引き戻す試みだった。

判断を言葉にしたものが命題(proposition)だ。そして命題には、必ず三つの要素がある。

toute proposition enferme nécessairement deux termes ; l’un appelé sujet … et l’autre appelé attribut … et de plus la liaison entre ces deux termes, est. (Every proposition necessarily contains two terms — one called the subject … the other called the attribute … and, moreover, the link between them: “is”.)

どの命題も、必ず二つの項を含む。一つは主語と呼ばれ、〜について述べる対象(たとえば「地」)。もう一つは属詞と呼ばれ、述べられる内容(たとえば「丸い」)。さらに、この二項を結ぶもの——「である(est)」。

主語(sujet) である 繋辞(liaison) 丸い 属詞(attribut) 両端=概念する作用(思考の対象)  中央=判断する作用(思考の形式)
「地は丸い」の解剖。主語と属詞は「概念作用」に属し、繋辞「である」は「判断作用」——心の働きそのもの——に属す。図:L/LAB

二つの項(主語・属詞)は、第一の作用(概念する)に属す。私たちが思い浮かべ、思考の対象となるものだからだ。繋辞「である」は、第二の作用(判断する)に属す。これこそ「私たちの精神の行為であり、私たちが考えるそのしかた」だからだ。ここから著者たちは、心のうちで起きることの最大の区別を引く——「思考の対象」と、「思考の形式・様態(その主なものが判断)」。姉妹編『論理学』が「観念・判断・推論・方法」の四部で思考の技法を論じるのと、この文法はぴったり噛み合っている。片方が思考の規則を、もう片方がその言語への現れを扱う。

3. 語の最大の二分

心が「対象」と「形式」に分かれるなら、それを写す語も、同じ線で二つに分かれるはずだ。

il faut aussi que la plus générale distinction des mots soit que les uns signifient les objets des pensées, et les autres la forme et la manière de nos pensées. (The most general distinction of words must likewise be that some signify the objects of thought, and others the form and manner of our thought.)

語のもっとも一般的な区別も、こうでなければならない——あるものは思考の対象を表し、あるものは私たちの思考の形式・様態を表す。

思考の対象を表す 名詞・冠詞・代名詞 分詞・前置詞・副詞 = 概念する作用 思考の形式を表す 動詞・接続詞・間投詞 = 判断する作用・ 心のその他の動き(願望・命令・問い)
品詞論の背骨。すべての品詞は、この二分から演繹される。図:L/LAB

対象を表す語——名詞、冠詞、代名詞、分詞、前置詞、副詞。形式を表す語——動詞、接続詞、間投詞。名詞はさらに、実体(それ自体で存立するもの)と偶有(実体によってのみ在るもの)に対応して、実体詞と形容詞に分かれる。ただし著者たちは「意味(signification)」だけでなく「意味のしかた(manière de signifier)」を重んじる。たとえば「白さ(blancheur)」は偶有を指すのに、独立して振る舞うので実体詞に数えられる。逆に「人間の(humain)」は実体を指しうるのに、他の名詞に寄りかかるので形容詞だ。冠詞は名詞の指す範囲を限定する道具、代名詞は名詞の反復を避ける道具、副詞は「前置詞+その名詞」を一語に縮めたもの(sapientercum sapientia「知恵をもって」)——というふうに、対象語の内部も、心の操作から一つずつ説明される。

「形式を表す語」の性格は、否定辞にはっきり出る。「non という語に対応する対象は、私たちの精神の外の世界には一つもない。それはただ、あるものが別のものではない、という私たちの判断を表すだけだ」。接続詞(et, non, ou, si, donc)も間投詞(ああ! ほら!)も同じで、心の動き(結合・分離・否定・条件・願望・驚き)そのものを刻む記号なのだ。疑問代名詞 quis さえ、著者たちは「代名詞に、知りたいという心の動きの記号が足されたもの」と分析する。

4. 二つの山場——動詞と、隠れた文

動詞の本質は「肯定」

第2部・第13章。著者たちは、動詞を数百年ぶりに定義し直す。

le verbe, un mot dont le principal usage est de signifier l’affirmation … le discours d’un homme qui ne conçoit pas seulement les choses, mais qui en juge et qui les affirme. (the verb — a word whose principal use is to signify affirmation … the discourse of someone who does not merely conceive things, but judges and affirms them.)

動詞とは、その主要な用法が肯定を表すことにある語だ……ものをただ概念しているのではなく、それについて判断し、言い切っている人の言説だ、と示すこと。

純粋には、これは繋辞 être(「である」)だけの役割である。これを「実体動詞(verbe substantif)」と呼ぶ。他のすべての動詞は、肯定に余分なものを詰め込んでいる——(1) 属詞(Petrus vivit「ピエールは生きる」= Petrus est vivens「ピエールは生きているである」)、(2) 主語(一人称・二人称の語尾。video「私は見る」は ego を含む)、(3) 時(時制)。だから「ピエールは生きる」と「ピエールは生きているである」は、まったく同じことを言っている。もし人が省略を好まず、肯定だけを表す一語で済ませていたら、どの言語にも動詞は一つ——「である」——しか要らなかったはずだ、と著者たちは言う。言語ごとの膨大な動詞の多様さは、この「詰め込み」の産物にすぎない。

著者たちは、名だたる先人の定義をまとめて退ける。(1) アリストテレスの「動詞とは時をともなって意味する語(vox significans cum tempore)」(『命題論』)は、動詞に偶有的にくっついた「時」を本質と取り違えた。(2) 「動詞は行為や受動を表す」という定義は、詰め込まれた「属詞」のほうを見ている。(3) スカリゲルの「名詞は〈とどまるもの〉を、動詞は〈過ぎゆくもの〉を表す」という区別も、本質を外している。動詞の芯にあるのは時でも行為でもなく、話し手が世界に対して下す判断である。

「見えない神が見える世界を創った」

第2部・第9章。関係代名詞(qui)の分析のなかに、本書でもっとも引かれる一節がある。まず著者たちは、命題の主語や属詞が「単純」なこともあれば「複合的」なこともある、と述べる(「有能な行政官は共和国に有益な人物である」では、述べられているのは「行政官」ではなく「有能な行政官」だ)。複合的な項が、心のうちで複数の判断を含むとき——

Dieu invisible a créé le monde visible : il se passe trois jugemens dans mon esprit … Dieu est invisible. 2. Qu’il a créé le monde. 3. Que le monde est visible. (God invisible created the world visible: three judgments take place in my mind …)

「見えない神が、見える世界を創った」——私の精神のうちで三つの判断が起きている……1. 神は見えない。2. 神は世界を創った。3. 世界は見える。

「見えない神が、見える世界を創った」(口に出る一文) 神は見えない 付帯命題 → 主語の一部 神は世界を創った 主命題(本質) 世界は見える 付帯命題 → 属詞の一部 付帯命題は「しばしば心のうちにあって、言葉には表されない」。関係代名詞 qui は、それを表に出す装置。 →「見えない神が…」を「神が、qui 見えない、…」に書き換えると、隠れていた文が現れる。
一文の下の三判断。中央が「主命題(essentielle)」、前後は「付帯命題(incidente)」で、主命題の主語と属詞の一部をなす。図:L/LAB

三つのうち、中央の「神は世界を創った」が主命題で、前後の二つは付帯命題(proposition incidente)。付帯命題は、主命題の主語と属詞に溶け込んでいる。そして——

Or ces propositions incidentes sont souvent dans notre esprit, sans être exprimées par des paroles. (Now these incident propositions are often in our mind without being expressed in words.)

ところで、これらの付帯命題は、しばしば私たちの精神のうちにありながら、言葉には表されない。

関係代名詞 qui は、その隠れた文を表に出す道具だ——「見えない神が…」を「神、qui 見えない、が…」に開くと、埋め込まれていた判断が姿を現す。著者たちは、この付帯命題は「主語や属詞の全体にはならず、その一部にしかならない」(qui est invisible だけでは主語にならず、Dieu を足して初めて主語になる)と注意深く付け加える。

さらに彼らは、言語によって同じ隠れた文を別々の道具で表に出す、と指摘する。ラテン語は分詞を好み(video canem currentem)、フランス語は関係節を好む(je vois un chien qui court「走っている犬が見える」)。どちらも心のうちでは「犬がいる+その犬は走る」という同じ二判断で、表現の形だけが違う。ここには、後の変形文法が「同じ深層から複数の表層が派生する」と言うのに近い直観がある。口に出る一文と、その下で動いている複数の判断——この二層の区別が、300年後に「深層構造/表層構造」として復活する。

5. 統語論と、第1部(音声・文字・読み方)

第1部(第1〜6章)は、音声学と正書法だ。母音は口の開きだけで出る音、子音はそれ自体では完全な音にならず母音との結合を要する——調音による分類。ふつう母音は五つ(a e i o u)と数えるが、開口の違いを細かく見れば「開いた e/閉じた e」「開いた o/閉じた o」なども別の母音とみなせる、と著者たちは指摘する。綴りと発音のずれを正すために、彼らは「あらゆる言語を楽に読めるようにする新しいやり方」(第6章)を提案する。文字の名前ではなく音価から教える、いわばフォニックスの先駆である。

そして統語論(第2部・最終章)は、驚くほど短い。「これまで立てた原理にしたがえば、一般的な考え方を示すのは難しくない」。語の構成は二種類——一致(convenance)(語どうしが合う。性・数・格・人称をそろえる)と支配(régime)(一方が他方に格などの変化を起こす)。そして一致は「大部分どの言語でも同じだ。なぜなら、それは……自然な帰結だからだ」。支配のほうは言語ごとに恣意的な部分が大きい、と認めつつ、統語論の骨格まで普遍だ、という構えである。

まとめ

論点『一般理性文法』の答え
文法とは何か話す技術。話すとは記号で思考を説明すること。だから文法は心の構造を写す
「一般」「理性的」の意味一言語に縛られず、慣用ではなくその根拠(raison)を問う
文法の土台心の三作用(概念・判断・推論)。判断=命題=主語+属詞+繋辞「である」
語の最大の区別思考の対象を表す語(名詞ほか)/思考の形式を表す語(動詞・接続詞・間投詞)
動詞の本質「肯定」を表すこと。純粋には「である」だけ。アリストテレスの「時をともなう語」は的外れ
関係代名詞心のうちの複数の判断(付帯命題)を、一文の中に折り込む装置
統語論一致と支配。一致は「自然な帰結」だからどの言語でも同じ

なぜ今も読まれるか