この特集は、全体像の記事から始まり、「二種類のお手本」「短篇小説の文章」「長篇小説の文章」の三つの節と、二つの精読記事を読んできた。ここで、読んだ範囲を、まとめて振り返る。
今も参照される対比
鷗外=簡潔、鏡花=絢爛という対比は、三島が発明したものではない。だが、この対を、「アポロン的」「ディオニュソス的」という言葉で、鮮やかに定式化したことは、三島の文章読本の、よく知られた達成の一つである。精読①で確かめたとおり、この対比は、二人の文章の、具体的な構造の違い(時間の圧縮と、空間の並列)に、確かに根ざしている。鷗外と鏡花を、簡潔と絢爛という、両極の作家として語る見方は、今も、日本近代文学を紹介する文章のなかで、繰り返し引かれる、共通の参照点であり続けている。
同じく、鷗外が短篇・小品にすぐれ、大長篇を書かなかったという事実、『澀江抽斎』が、鷗外の作品のなかでも例外的に長いという位置づけも、伝記的な事実として、確かめやすい。
問い直された診断
一方、**「日本にヨーロッパ的なロマーンはまだ現れていない」**という、三島の診断は、慎重に読む必要がある。
この診断は、1959年、すなわち、三島が34歳のときの見立てである。三島自身は、この後、『豊饒の海』四部作(1969–1971年)のような、大きな長篇小説を書くことになる。この特集では、その後の三島自身の仕事、また、大江健三郎をはじめとする、戦後の作家たちの長篇小説が、三島のいう「ロマーン」の条件を満たすかどうかを、個別に検証していない。ただ、「日本にロマーンがまだない」という、1959年の診断を、そのまま現在にあてはめることはできない、という点は、確認しておきたい。
短篇小説=詩、という見立て
第3記事で見た、「日本の短篇小説は、西欧の詩に近い地位を占めてきた」という見立ては、第二章の「散文と韻文が明確に分かれなかった」という前提のうえに立っている。その前提自体、三島独自の見立てであることは、第二章の判定記事で確認した。したがって、この短篇小説論も、実証された文学史というより、三島の一貫した日本語論から導かれた、一つの仮説として読むのが適切である。
ただし、川端康成、梶井基次郎、堀辰雄らを、「ポエット」に近い小説家として位置づけたこと自体は、文学史のなかで、広く共有されてきた見方に近い。
男文字と女文字の、応用の限界
精読②で確かめたとおり、三島は、「男文字と女文字」という一つの前提を、第二章から第三章まで、繰り返し使い回している。この一貫性は、三島の文章読本の、構成上の強みである。だが、前提そのもの——論理は男性、情念は女性という、性による本質化——が、実証された言語学・文学理論ではなく、三島個人の見方であることは、変わらない。一貫して使われているからといって、その前提が正しくなるわけではない。
この特集の限界
一、鷗外・鏡花以外の作家(志賀直哉、谷崎潤一郎、川端康成、堀辰雄、梶井基次郎など)の本文は、著作権が存続している可能性があるため、この特集では引用していない。 三島の評価だけを、要約として紹介した箇所が多く、その評価が、各作家の実際の文章に、どこまで裏付けられるかは、確認していない。
二、ゲーテ『親和力』(高橋健二訳)からの、三島の長い引用は、翻訳者の権利にも配慮し、この特集では引用していない。 長篇小説の文体の実例そのものは、読者自身が、原典にあたって確かめる必要がある。
三、「その後の日本文学に、三島のいう意味でのロマーンが現れたかどうか」は、この特集では検証していない。 これは、それ自体、一つの大きな文学史的な問いであり、この特集の範囲を超える。
まとめ
| 論点 | 判定 |
|---|---|
| 鷗外と鏡花の対比 | 今も参照される。文の構造そのものに根ざしている |
| 鷗外の短篇偏重 | 伝記的事実として確かめやすい |
| 日本にロマーンがない | 1959年の診断。その後の展開は、この特集では未検証 |
| 短篇小説=詩という見立て | 第二章の前提に依存する、三島の仮説 |
| 男文字と女文字の応用 | 一貫しているが、前提自体の正しさは保証されない |
一言でいえば——第三章は、鷗外と鏡花という、今も生きる対比を残した一方、「日本にロマーンがまだない」という診断は、三島自身のその後の仕事によっても、問い直されることになった。