前の記事で見た「吾輩」の尊大な語りは、比較対象があって、初めてその際立ちが分かる。この小説の早い段階で、その比較対象が登場する——近所で知られた乱暴猫、「車屋の黒」である。

出会いの場面

裏庭の茶園で、「吾輩」は、見慣れない大きな黒猫と出くわす。「吾輩」は、いつもの調子で、丁寧に自己紹介する。

「吾輩は猫である。名前はまだない」となるべく平気を装って冷然と答えた。

これに対する、黒猫の返答が、この小説屈指の、言葉づかいの落差を見せる場面である。

彼は大に軽蔑せる調子で「何、猫だ? 猫が聞いてあきれらあ。全てえどこに住んでるんだ」

「猫が聞いてあきれらあ」「全てえどこに住んでるんだ」——「あきれらあ」「全てえ」は、江戸下町の、教育のない者の話し言葉に特徴的な、崩れた発音・語尾である。「吾輩」の「〜である」「〜であろう」という、丁寧で格調高い文体とは、まったく異なる位相にある。

「御めえ」——さらに崩れた言葉

黒猫の言葉は、さらに続く。

双眸の奥から射るごとき光を吾輩の矮小なる額の上にあつめて、御めえは一体何だと云った。

「御めえ」(おめえ)は、「おまえ」がさらに崩れた、乱暴な二人称である。地の文(「吾輩」の描写)は、「双眸の奥から射るごとき光」という、相変わらず格調高い表現を使っているのに、黒猫の台詞だけが、極端に崩れている。この対比が、一つの文のなかで、同時に起きている点に注目したい。

「己れあ」——自称にも表れる違い

黒猫は、自分の名を問われて、こう答える。

「己れあ車屋の黒よ」昂然たるものだ。

「己れ」(おれ)が、さらに「己れあ」と崩れる。車屋(人力車を引く商売)に飼われている猫であることが、そのまま、言葉の崩れ具合に反映されている。「吾輩」は、この黒猫について、こう評する。

言葉付から察するとどうも良家の猫とも思われない。

「言葉付」(言葉つき)だけで、相手の育ちや身分を判断する——これは、まさに、この記事が読んでいる現象そのものを、語り手自身が言語化した一文である。

教育のなさへの侮蔑

「吾輩」は、黒猫の言葉づかいから、こんな判断を下す。

しかしその膏切って肥満しているところを見ると御馳走を食ってるらしい、豊かに暮しているらしい。

そして、黒猫の名を聞いたあとには、こう続ける。

吾輩は彼の名を聞いて少々尻こそばゆき感じを起すと同時に、一方では少々軽侮の念も生じたのである。吾輩はまず彼がどのくらい無学であるかを試してみようと思って左の問答をして見た。

「無学であるかを試してみよう」——「吾輩」は、相手の言葉づかいの粗野さを、知性の欠如の証拠とみなし、あえて知識を試す問答をしかけようとする。教育と階級への、あからさまな階層意識が、ここには表れている。

「吾輩」——教師の家の猫 「である」「であろう」。格調高い漢語 「双眸の奥から射るごとき光」 車屋の黒——車屋の猫 「あきれらあ」「全てえ」「御めえ」「己れあ」 崩れた発音・語尾。乱暴な二人称 同じ猫でありながら、言葉づかいだけで、教育・階級の差が示される 図:ToL(出会いの場面の対話分析による)
「吾輩」と車屋の黒、言葉の落差。図:ToL

読むうえで、確かめておきたいこと

第一に、「吾輩」自身が、黒猫の言葉づかいから相手を判断し、見下す態度をとっている点は、語り手自身の性格描写として読むべきであり、漱石自身の価値観を代弁しているとは限らない。 むしろ、こうした尊大さこそが、この猫の滑稽さの一部として、作品全体のなかで戯画化されている。

第二に、車屋の黒の言葉づかいを、特定の実在の方言や社会階層と、厳密に対応させることは、この記事では行っていない。 「べらんめい調」に類する、江戸下町の伝統的な話し言葉の型を模したもの、として一般的に読むにとどめる。

まとめ

論点内容
出会いの場面丁寧な自己紹介に対し、黒猫が粗野な言葉で応じる
崩れた語形「あきれらあ」「全てえ」「御めえ」「己れあ」
「吾輩」の判断言葉づかいだけで、相手の育ちと身分を判断する
階層意識「無学であるかを試してみよう」という、あからさまな見下し

一言でいえば——「吾輩」と車屋の黒は、同じ猫でありながら、言葉づかいだけで、教育と階級のはっきりした違いを示しており、その落差そのものが、語り手の尊大さを、いっそう際立たせている。