「文章読本」という題を見ると、文章の書き方を教える本を思い浮かべる。だが、三島由紀夫(1925–1970)の『文章読本』は、そうではない。この本は、読む側から書かれている。この特集の最初の記事では、その全体像を、分量と構成から確かめる。

この本について

『文章読本』は、1959年(昭和34年)1月に、雑誌『婦人公論』の別冊付録として世に出て、同年6月に、中央公論社から単行本として発行された。(この経緯は、同書所収の野口武彦の解説による。)この特集では、中公文庫の新装版(中央公論新社)を用いる。以下、ページ数は、その版のものである。

「読む側から」の文章読本

最初の章で、三島は、この本の目的を、はっきり限定している。

私はここでこの「文章読本」の目的を、読む側からの「文章読本」という点だけに限定した方が、目的も明確になり、素人文学に対する迷いを覚ますことにもなると思うのです。(p.10)

つまり、この本は、「だれでも書ける文章」を教える本ではない。三島は、そういう傾向に苦々しさを覚える、と書いている(第一章)。この本が目指すのは、小説の読者を、レクトゥール(普通読者)からリズール(精読者)へ導くことである。この区別は、次の記事で詳しく見る。

八つの章と附録

この本は、八つの章と、附録の質疑応答からなる。

章題中身
第一章この文章読本の目的読者を「精読者」に導く。実用的な文章と鑑賞的な文章
第二章文章のさまざま男文字と女文字、散文と韻文、文章美学の史的変遷、文章を味わう習慣
第三章小説の文章二種類のお手本、短篇小説の文章、長篇小説の文章
第四章戯曲の文章小説の会話と戯曲の会話、戯曲の文体
第五章評論の文章批評の文章、日本語の論理性
第六章翻訳の文章翻訳の二つの態度、翻訳文を読む教養
第七章文章技巧人物描写(外貌・服装)、自然描写、心理描写、行動描写、文法と文章技巧
第八章文章の実際——結語作家自身の文章の実際。格調と気品
附質疑応答十五の問いへの答え

分量で見る

この本のどこに、重心があるのか。OCRで取り出した本文のおよその字数で、章ごとの分量を比べてみる。

章ごとの分量(本文のおよその字数) 第一章 目的約4,700 第二章 さまざま約22,400 第三章 小説約21,200 第四章 戯曲約12,000 第五章 評論約3,300 第六章 翻訳約5,600 第七章 文章技巧約30,800 第八章 結語約5,700 附 質疑応答約15,500 黒=第二・三・七章(合計で約六割)。字数は、OCRテキストによる概算。図:ToL
章ごとの分量。第二・三・七章で、本文の約六割になる。図:ToL

第二章(約2.2万字)、第三章(約2.1万字)、第七章(約3.1万字)を合わせると、本文の約6割になる。この特集群が、この三つの章を中心に据えるのは、分量の上でも、理由がある。

この本の三つの態度

全体を通して読むと、三島の態度が、三つ見えてくる。

一、精読者を作る。 この本の目的は、読者を、小説を深く味わう人に導くことである。

二、一つの型を最高としない。 三島は、「ある一つの型の文体を最高のものとして、ドグマティックに文体の階級制度を作ろうというのではありません」と述べ、次のようにも言う。

私はなるたけ自分の好みや偏見を去って、あらゆる様式の文章の面白さを認め、あらゆる様式の文章の美しさに敏感でありたいと思います。(p.13)

三、実例を並べて、味わわせる。 三島は、抽象的な文章論ではなく、具体的な文章の例をたくさん引き、読者に味わわせる。第三章では、「二種類のお手本」として、森鷗外と泉鏡花の一節が並べられる。この点は、第三章の特集で、詳しく読む。

この本を、どう読むか

この本は、1959年の、一人の小説家の見方である。三島の断定に、いつも同意する必要はない。ただ、当時の一流の書き手が、文章をどう見ていたかを知る資料としても、また、文章を味わう眼を養う手引きとしても、読める。

この特集の後半(第五〜八特集)では、三島自身の作品を読み、この本で語られた考えが、作品のなかで、どう現れているかを見る。その橋渡しとして、この本を、まず詳しく見る。

この特集の構成

記事内容
1(この記事)全体像
2第一章:レクトゥールとリズール
3第四章:戯曲の文章
4第五・六章:評論と翻訳
5第八章:作家の実際と、格調・気品
6附録:質疑応答
7この本の読み方と、その限界

まとめ

論点内容
成立1959年1月に『婦人公論』別冊付録、同年6月に中央公論社から単行本
目的読む側からの文章読本。読者を「精読者」に導く
構成八つの章と附録。第二・三・七章が本文の約6割
態度精読者を作る/一つの型を最高としない/実例を並べて味わわせる

一言でいえば——『文章読本』は、書く人が、読む人のために書いた、文章の味わい方の手引きである。その重心は、第二・三・七章にある。