前章で見たとおり、イェスペルセンは、言語の変化を、話し手一人ひとりの判断の積み重ねとして捉え直した。しかし、イェスペルセン自身は、その「人間の営み」の中身——実際に誰が、どこで、どう動いたのか——までは示していない。2007年、考古学者デイヴィッド・W・アンソニーが、その空白を埋める。

侵略ではなく、フランチャイズ

アンソニーは、印欧祖語の話し手たちが各地へ広がっていった過程を、大規模な軍事征服としては描かない。

As I suggested in chapter 14, the initial spread of Proto-Indo-European dialects probably was more like a franchising operation than an invasion.

(第14章で示したとおり、印欧祖語の諸方言の当初の拡散は、侵略というよりも、フランチャイズ展開に近いものだったと思われる。)(記事136

少数の草原の首長たちが、それぞれの土地に移り住み、後見人と依頼人の関係、客人をもてなす慣習といった制度を通じて、その土地の人々を引き込んでいく——これが、アンソニーの描く拡散の実像である。ここには、シュライヒャーが思い描いた「樫の木のように育つ自然物」の面影はまったくない。あるのは、名前も記録も残っていない、しかし確かに実在した人々の、現実の社会的な行為である。

シュライヒャー 1861 言語は樫の木のように育つ 自然物としての言語 アンソニー 2007 首長の移住と制度による拡散 人間の歴史としての言語 146年をへて、自然物から人間の歴史へ、振り子は大きく動いた
シュライヒャーの自然物観から、アンソニーの人間史観へ。図:ToL

馬の歯と、車輪ということば

アンソニーがこの主張を支えるのに使った証拠も、この系譜の他の誰とも違う種類のものだった。轡(くつわ)が馬の歯に残す摩耗痕を調べ、乗馬の起源を年代づける(概説記事)。「車輪」「車軸」という祖語の単語が存在すること自体を、車輪の発明年代(紀元前4000〜3500年ごろ)と突き合わせ、祖語が話されていた年代の下限を割り出す。これは、第1章でラスクが打ち立てた「規則的対応」という方法の、もっとも遠くまで届いた応用でもある——ただし、比べる対象は、もはや文法の語尾ではなく、馬の骨と、道具の発明史そのものになっている。

古代DNAによる、独立した裏づけ

2015年、アンソニーの草原起源説は、まったく別の科学——古代人骨から直接DNAを解析する技術——によって、独立に裏づけられる。約4500年前、ヨーロッパの人々の遺伝的祖先の4分の3ほどが、突如としてポントス・カスピ海草原の人々に由来するものへと置き換わっていたことが明らかになった。「言語の変化は自然法則か、人間の営みか」という問いに、骨に刻まれたDNAという、動かしがたい証拠が答えを持ち込んだのである。

系譜の終わりに

こうして六つの章をたどってきた。ジョーンズが開いた問いは、ラスクの手で方法になり、グリムの手で表になり、ボップの手で比喩を得て、ミュラーとシュライヒャーの手で自然物へと固定され、ブルークマンの中で自然法則と人間の力が同居し、イェスペルセンの手で人間の営みへと解き放たれ、最後にアンソニーの手で、現実の考古学的な証拠に裏づけられた歴史として、地に足をつける。

人物一言で位置
1ジョーンズ→ラスク偶然ではない直感が、検証可能な方法になる問いの誕生
2グリム・ボップ対応表と有機体の比喩——まだどちらも文字どおりではない自然法則寄り
3ミュラー・シュライヒャー言語学は自然科学。言語は生きるが歴史を持たない自然法則
4ブルークマン例外なき音法則、しかし類推という人間の力も認める自然法則→人間
5イェスペルセン単純化は衰退ではなく、人間が進める進歩人間の営み
6アンソニー言語の拡散は、名もなき人々の移住と制度、そのもの人間の営み

一言でいえば——「ことばはなぜ変わるのか」に、まだ最終的な答えはない。だが221年のあいだ、この振り子が止まらなかったという事実そのものが、一つのことを教えてくれる。言語を「自然物」として固定しようとする欲望と、「人間の歴史」として取り戻そうとする欲望は、おそらくどちらも、言語という対象の中に、はじめから両方とも書き込まれているのだ。