前の2本の記事で見た「規則」と「例外の解決」は、それだけでも十分に大きな発見だった。だがグリムの法則がその後の言語学に残した遺産は、もっと広い。この記事では、この発見が比較言語学という学問全体に何をもたらしたかを見ていく。

実はグリムより先に気づいていた人がいた

意外に思われるかもしれないが、ラテン語の p とゲルマン語派の f の対応そのものに最初に気づいたのは、グリムでも、この特集の前の記事で見たラスムス・ラスクでもない。ドイツの思想家フリードリヒ・シュレーゲルが、すでに1806年にこの対応を指摘していた。ラスクが1818年にこれを他の子音・他の言語(サンスクリット語やギリシア語)にまで広げ、グリムが1822年にそれを体系立った表としてまとめ上げる——一つの発見は、たいてい一人の天才のひらめきではなく、何人もの手を経て少しずつ形になっていく。この特集で読んできたウィリアム・ジョーンズの1786年の講演にも、同じことが言えた。

「思いつき」を「学問」に変えたもの

グリムの法則の本当の価値は、個々の単語の対応を見つけたことそのものよりも、音の変化は偶然ではなく、体系的に起きるという考え方を、検証可能な形で示したことにある。これ以前にも、似た言語どうしの単語を並べて「似ている」と指摘する試みはあった(この特集でも触れたウィリアム・ジョーンズの1786年の講演がその代表例だ)。だがグリムの法則以降、言語学者たちは「似ている」で満足せず、その類似がどんな規則的な音の対応から生まれているかを、表にして示すことを求められるようになった。歴史言語学という学問の方法論的な土台は、この転換のうえに築かれている。

この方法は、ゲルマン語派の枠を超えて広がっていく。1870年代には、ドイツの言語学者ヘルマン・グラスマンが、ギリシア語とサンスクリット語の帯気音についての別の規則的な対応(グラスマンの法則)を示した——グリムが切り開いた「体系的な音韻対応を探す」という方法が、まったく別の言語群でも実を結んだ例である。こうして積み上げられた個々の音韻法則が、やがてインド・ヨーロッパ語族全体の系統樹を、語族という漠然とした直観から、規則の集合として裏づけられた具体的な体系へと変えていった。

1806 シュレーゲル 1818 ラスク 1822 グリム 1870年代 グラスマン 1875 ヴェルナー 1916 ソシュール 「体系的な音韻対応を探す」という方法が、ゲルマン語派を超えて広がり、一般言語学の土台の一部になっていく
グリムの法則の方法論的な広がり。図:ToL

ソシュールへの、意外な道筋

この方法論的な遺産は、ある意味で皮肉な形で、次の世代の学者たちを別の方向へ導くことにもなった。比較言語学がインド・ヨーロッパ祖語の姿をどこまで精密に再構成できるかを競い合うようになったころ、若きスイスの学者フェルディナン・ド・ソシュールは、1878年、祖語の母音組織についての先駆的な論文を発表する——比較言語学の内部で鍛えられた腕を、極限まで研ぎ澄ませた仕事だった。だがソシュールは、その後まったく異なる問いへと進み、「なぜある時点の言語の歴史を再構成できるかではなく、そもそもある時点の言語という体系はどんな仕組みで成り立っているのか」を問うようになる。この転回が、のちに『一般言語学講義』(1916)としてまとめられる——この転回とその中身は、このサイトのソシュールの特集で読める。グリムが切り開いた歴史比較の方法を極限まで推し進めた末に、その方法では答えられない問いが見えてきた、という筋書きだ。

影の部分——民族と言語の混同

この遺産には、光だけでなく影もある。「インド・ヨーロッパ語族」という言語学上の発見は、19世紀のヨーロッパで、「アーリア人種」という根拠のない人種の物語と結びつけられていった。この混同がどう広がったかは、この特集の姉妹特集ですでに触れたとおり、マックス・ミュラーの特集で詳しく見ていく。グリム自身の仕事そのものにこの混同を読み込むのは筋違いだが、彼が切り開いた方法が、のちに誤用された歴史があることは、正直に記しておく必要がある。

まとめ

論点内容
先行者フリードリヒ・シュレーゲル(1806年、p/f対応に最初に言及)
方法論的な核心音の変化を「偶然の類似」から「検証できる規則的対応」に変えたこと
広がった先グラスマンの法則(ギリシア語・サンスクリット語の帯気音)など、他の語族・語派
意外な帰結比較言語学を極めた先に、ソシュールが「体系としての言語」という別の問いを立てた
影の部分「インド・ヨーロッパ語族」と「アーリア人種」の誤った混同(詳細は別記事で)

一言でいえば——グリムの法則が残した本当の遺産は、一つの表そのものではなく、「音の変化には理由がある」と信じて、その理由を探すという態度だった。この態度は、思いがけない場所——歴史を離れて言語を体系として見るソシュールの仕事にまで、道筋を伸ばしている。