主張文を組み立てるには、二種類の部品がいる。名詞(ὄνομα)と動詞(ῥῆμα)だ。アリストテレスは第2章と第3章で、この二つを定義し分ける。

名詞——「部分が単独では意味しない」声

名詞の定義には、四つの条件がある。声であること、何かを意味すること、取り決めによること、時をふくまないこと。そしてもう一つ、見落としやすい条件がつく——その部分は、どれも単独では意味しない

ἧς μηδὲν μέρος ἐστὶ σημαντικὸν κεχωρισμένον· ἐν γὰρ τῷ Κάλλιππος τὸ ἵππος οὐδὲν αὐτὸ καθ᾿ ἑαυτὸ σημαίνει.

その部分はどれも、切り離しては意味をもたない。「カリッポス」のうちの「ヒッポス(馬)」は、それだけでは何も意味しない。(ギリシア語引用の日本語訳・英訳は L/LAB による。以下同じ。)

人名「カリッポス(Κάλλιππος)」には、たまたま「馬(ἵππος)」という音が入っている。だが誰も、この人を「美しい馬」とは受け取らない。名前は、音のかたまり全体で一つの意味を担う——分けても意味の破片は出てこない。ここでアリストテレスは、語を「意味の最小単位」として切り出している。複合語(「小舟+競走艇」のような合成名)は部分が意味をもつ例外だが、それも「切り離しては意味しない」と彼は補う。この論点は、のちに「意味は部分から組み立てられるのか(合成性)」という問いに育つ。

動詞——時と、述語であること

名詞(例:健康) 動詞(例:健康である) 「時」をいっしょに示す示さない示す(=いま在ること) 「何かについて言われる」記号そうとは限らないつねにそう(述語の記号) 単独で真か偽かならないならない 「健康だった」「健康だろう」は動詞そのものではなく動詞の「格(πτῶσις)」——現在以外の時を示す変化形。
名詞と動詞の分かれ目。動詞は「時」と「述語であること」を意味に上乗せする。図:L/LAB

Ῥῆμα δέ ἐστι τὸ προσσημαῖνον χρόνον … καὶ ἔστιν ἀεὶ τῶν καθ᾿ ἑτέρου λεγομένων σημεῖον.

動詞とは、時をいっしょに示すものであり……つねに「何かについて言われるもの」の記号である。

アリストテレスの例は明快だ。「健康(ὑγίεια)」は名詞、「健康である(ὑγιαίνει)」は動詞。後者は「いま在ること(τὸ νῦν ὑπάρχειν)」をいっしょに示している。これが「時をいっしょに示す(προσσημαίνει χρόνον)」の意味だ。時は動詞のの意味ではなく、上乗せされた層である。「健康だった」「健康だろう」は、動詞そのものではなく動詞の(πτῶσις)——現在からずれた時を示す変化形として区別される。

もう一つ、動詞は「つねに、何かについて言われるものの記号」である。「白い」「歩く」は、いつも何かが白い、何かが歩く。動詞は、主語という土台の上に述語として乗る——この「〜について言われる」という向きを、動詞は意味のうちに含んでいる。だから名詞と動詞は対等な二部品ではない。名詞は据わる場所を用意し、動詞はそこに何かを帰す。

τὰ ῥήματα … σημαίνει τι … ἀλλ᾿ εἰ ἔστιν ἢ μή, οὔπω σημαίνει.

動詞は……何かを意味する……が、それが在るか否かは、まだ意味しない。

「=である」という謎

第3章の終わりで、アリストテレスは奇妙なことを言う。動詞「在る(εἶναι)」は、それ自体では何も意味しない

Αὐτὸ μὲν γὰρ οὐδέν ἐστι, προσσημαίνει δὲ σύνθεσίν τινα, ἣν ἄνευ τῶν συγκειμένων οὐκ ἔστι νοῆσαι.

それ自体としては何ものでもなく、ある種の結合をいっしょに示すのだが、その結合は、結ばれる項ぬきには考えられない。

三項(tertium adiacens) 人間 =である 白い 繋辞は二項を結ぶだけ 二項(secundum adiacens) 人間 在る この「在る」は存在を述べる
繋辞(コプラ)の問題。「=である」は独自の内容をもたず、主語と述語の結合を示すだけ。中世はこれを「第三の付加語」と呼んだ。図:L/LAB

「人間は白い」という文は、主語「人間」、述語「白い」、そしてそれらを結ぶ「=である」の三つからなる。中世の論理学者はこれを「第三の付加語(tertium adiacens)」と呼び、「人間は在る」のように「在る」が二番目に来る形(secundum adiacens)と区別した。「=である」は独自の内容をもたず、結合のしるしにすぎない——この見方は、19世紀にミルやフレーゲが「繋辞は述語に吸収できる」と論じるまで、論理学の前提であり続けた。

文法史への影響

名詞と動詞という二分は、以後の西洋文法の骨格になる。ラテン語文法家プリスキアヌス(6世紀)は nomen/verbum をここから受け継ぎ、ポール・ロワイヤル『一般理性文法』(1660)もこの区別を土台に組み立てられている。一方、現代の言語学は、品詞の区分が言語ごとに異なりうること(言語類型論)を強調し、名詞/動詞をすべての言語に共通する普遍カテゴリーと見ることには慎重だ。アリストテレスがギリシア語の観察から立てた枠が、どこまで人類共通なのか——その問いは今も開いている。