『吾輩は猫である』を言語の視点で読む
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」猫が、尊大で教養ぶった言葉を話す。餅を食べるかどうか迷って「真理」を発見する猫。車屋の黒との言葉の落差。『吾輩は猫である』を動かす、格式の衝突を読む。
『吾輩は猫である』を言語の視点で読む——猫が、尊大な言葉を話す
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」猫が、大げさで、教養ぶった言葉で、瑣末な日常を語る——このミスマッチこそが、この小説の笑いの源である。『坊っちゃん』の方言衝突とは違う角度から、漱石のもう一つの言語実験を読む。
「吾輩」という尊大な一人称——猫が選んだ言葉
「私」でも「おれ」でもなく、「吾輩」。この一人称の選択だけで、この猫の性格——尊大で、皮肉屋で、教養をひけらかす——が立ち上がる。語彙と一人称から、この猫の言葉を確かめる。
「御めえは一体何だ」——車屋の黒と、教育のない猫の言葉
近所の乱暴猫「車屋の黒」は、粗野な言葉で「吾輩」に凄む。同じ猫でありながら、二匹の言葉づかいは、まるで別の生き物のように違う。教育と階級が、言葉にどう表れるかを読む。
「この馬鹿野郎」と「後架先生」——主人の口癖と、近所のあだ名
主人・苦沙弥先生は、腹を立てると必ず「馬鹿野郎」と言う。便所で謡をうたう癖から、近所では「後架先生」と呼ばれている。口癖とあだ名という、二つの言語現象を、『坊っちゃん』のあだ名とも比べながら読む。
餅と「真理」——瑣末な出来事を、哲学の言葉で語る
正月の雑煮の餅を食べるべきか迷うだけで、猫は「真理」を発見したと言う。歯に餅がくっついて動けなくなっただけで、また「真理」を発見する。瑣末な出来事を、大仰な言葉で語る、この小説の中心的な笑いの装置を読む。
精読——「名前はまだ無い」から「ありがたいありがたい」まで
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」で始まり、「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。」で終わる。この小説の最初と最後の言葉を、『坊っちゃん』『こころ』の冒頭とも並べて、漱石の三つの声を比べる。
判定——『吾輩は猫である』の言葉の実験は、いまも効いているか
尊大な一人称、漢語まじりの語彙、あだ名と口癖、大仰な「真理」。この小説を動かす言語技術のうち、いまも笑いとして機能するものと、時代の知的流行を映すものを、6本の記事を通して整理する。