特集
三島由紀夫の肖像(線画のイラスト)

『文章読本』② 文章のさまざま

漢字は男文字、かなは女文字。頭韻のない日本語が、万葉集の枕詞と七五調で音のリズムを作った。二葉亭四迷が断ち切ったもの。そして、自動車のドライブのように小説を読む現代人。第二章「文章のさまざま」を、原文で読む。

220

「文章のさまざま」を読む——男文字と女文字、韻文と散文、そして味わう習慣

三島由紀夫は、日本語の文章の性格を、四つの窓から見る。かなと漢字の性による分担、韻文と散文の歴史、二葉亭四迷以後の断絶、そして現代人が文章を味わう習慣の変化。約2.2万字、この本でいちばん長い章の見取り図。

221

漢字は男文字、かなは女文字——論理と情念の、性による分担

平安朝、漢字は男文字、かなは女文字と呼ばれた。『土佐日記』の作者は、女文字で書くために、みずから女を仮装した。三島由紀夫は、この分担の奥に、論理・理知はすべて外来の思想に委ねられた、という日本語の歴史を見る。

222

頭韻のない言語の、頭韻の工夫——万葉集の枕詞から現代の広告文句まで

日本語には、頭韻も脚韻もない。それでも『万葉集』は、枕詞で頭韻に似た効果を試みた。三十一文字の五・七・五・七・七は「日本語の黄金分割」となり、七五調の伝統は、戦記物、浄瑠璃、そして「くしゃみ一回ルル三錠」にまで生きている。

223

二葉亭四迷が断ち切ったもの——古典文学になった樋口一葉、そして翻訳調の一世紀

二葉亭四迷以後、日本語の文章は革命的な変化を経た。樋口一葉も尾崎紅葉も、もはや古典文学になった。同時に、翻訳の文体は、日本語そのものに入り込んでいった。三島由紀夫が見る、文体の断絶と連続を読む。

224

歩く文章と、味わう文章——「どりや書見をいたそうか」から週刊誌の時代へ

歌舞伎の侍は、悠々と本を読む。現代の週刊誌は、読み捨てられる運命にある。三島由紀夫は、自動車でドライブするように小説を読む現代人と、景色を一つ一つ眺めるように文章を味わった昔の読者を対比し、この章を締めくくる。

225

精読——「抽象概念はドイツ観念論の用語で代用された」——一つの主張を、二つの箇所から読む

「男文字と女文字」と「文章を味わう習慣」、離れた二つの節で、三島由紀夫は同じ主張を繰り返す——日本語の抽象概念は、外来のものだ。二箇所の原文を並べ、この主張の中身と、その限界を確かめる。

226

遺産と判定——七五調は生き残り、「日本語には抽象概念がない」は三島のエッセイにとどまる

七・五調が現代の標語に生きているという観察は、今も確かめやすい。一方、「日本語の抽象概念は明晰性を持てない」という主張は、実証された言語学ではなく、三島個人のエッセイとして読むべきものだった。第二章の四つの節を、分けて採点する。

← ホームへ