特集
三島由紀夫の肖像(線画のイラスト)

『文章読本』① 全体像

文章の書き方を教える本ではない。三島由紀夫の『文章読本』(1959) は、読者を「普通読者」から「精読者」へ導くために書かれた。八つの章と附録の全体像を、第一・四・五・六・八章と質疑応答から読む。

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三島由紀夫『文章読本』を読む——書く人が、読む人のために書いた、文章の手引き

「文章の書き方」を教える本ではない。三島由紀夫の『文章読本』は、小説を読む人を「普通読者」から「精読者」へ導くために書かれた。八つの章と附録からなるこの本の全体像を、分量と構成から確かめ、二・三・七章が本の約六割を占めることを見る。

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普通読者から精読者へ——第一章「この文章読本の目的」を読む

小説を「なんでも手当り次第に読む人」と、「小説世界が実在する人」。三島由紀夫は、この二種類の読者を分け、自分の『文章読本』を、前者を後者へ導くために書く、と宣言する。第一章の、実用文と鑑賞文の話、大蔵省時代の思い出、中学の作文教育への疑問まで、順に読む。

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歩行の文章と、舞踏する文章——第四章「戯曲の文章」を読む

会話のない小説は退屈だと言われ、会話ばかりの戯曲は敬遠される。この矛盾を、三島由紀夫は「波としぶき」の比喩でほどき、戯曲の会話は、小説の会話とはまったく別のものだと論じる。戯曲には文体があるのか。「小説の文章は歩行、戯曲の文章は舞踏」という結びまで、第四章を読む。

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論理の侍女と、八分の功績——第五章「評論の文章」・第六章「翻訳の文章」を読む

批評も芸術作品になりうるのか。翻訳は、原文に忠実であればよいのか。三島由紀夫は、評論の文章に「論理」と「感受性」の関係を見、翻訳の文章に「日本語として読める」ことを求める。短い二つの章を、続けて読む。

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凡庸さを美しく見せる——第八章「文章の実際——結語」を読む

最終章で、三島由紀夫は、理論ではなく、自分の机の上の話をする。文章のスピードと密度、推敲をしない理由、「彼女」を避ける理由、映画俳優の名前を出さない理由。そして、文章の最後の理想として挙げる「格調と気品」。この本の結びを読む。

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十五の問いへの答え——附録「質疑応答」を読む

「小説第一の美人は誰ですか」「方言の文章について」「いい比喩とは」。附録の質疑応答は、本文よりくだけた調子で、三島由紀夫の考えを、十五の問いに答える形で語る。本文では見えにくい、三島の実務的な知恵と、ちょっとした癖を、五つの問いから拾う。

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この本をどう読むか——読める部分、時代の部分、そして作品で確かめること

『文章読本』で語られたことは、どこまで今も読め、どこからが1959年の、一人の小説家の好みなのか。第一・四・五・六・八章と附録を読んだ範囲で、読める部分と時代の部分を分け、後半の作品の特集で確かめるべき点を書き出す。

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