『私の個人主義』
目黒の秋刀魚、霧の中の嚢、釣に連れ出される弟、豆腐屋。夏目漱石が1914年、学習院で行った講演を、原文で読む。自己本位、権力と金力の倫理、義務を伴う自由。
「私の個人主義」を読む——目黒の秋刀魚から始まる講演
1914年、学習院での講演。夏目漱石は、目黒の秋刀魚という落語のまくらから話を始め、自分の煩悶と挫折を語り、権力・金力・義務・自由という言葉で、個人主義を組み立てていく。全7記事、まずは全体の見取り図。
嚢の中の孤独——自己本位という、たった一本の鶴嘴
英文学を三年やっても、文学とは何かわからない。ロンドンでは、霧の中に閉じ込められたようで、どちらを向いてもぼんやりしている。漱石は、この「煩悶」から「自己本位」という四字にたどり着くまでを、率直に語る。
釣に連れ出される弟——権力と金力は、なぜ危険なのか
釣が好きな兄が、家に引きこもる弟を、無理やり釣に連れ出す。漱石は、この身近な兄弟の話から、権力と金力という、個性を他人に押しつける「道具」の危険を説き起こす。
義務なき自由は、自由ではない——個人主義の孤独
England expects every man to do his duty。漱石は、自由を尊ぶ英国が、同時に秩序の調った国であることに注目する。そして、個人主義とは党派主義の反対であり、ある種の淋しさを伴うものだと、三宅雪嶺をめぐる事件を例に語る。
豆腐屋は、国家のために豆腐を売るのではない——個人主義と国家主義
豆腐屋が豆腐を売り歩くのは、国家のためではなく、自分の衣食のためである。漱石は、この身も蓋もない例え話で、個人主義が国家主義の反対物ではないことを示す。熊本高等学校時代の、ある演説の逸話とともに読む。
精読——霧、嚢、錐、鶴嘴、鉱脈。一つの比喩が育っていく
漱石は、自分の煩悶を語るのに、一つの比喩で押し通さない。霧から嚢へ、錐から鶴嘴へ、そして鉱脈へ。イメージが少しずつ姿を変えながら育っていく、その順序を原文で追う。
判定——「私の個人主義」は、いま読んでも通用するか
自己本位、義務、他人の個性の尊重。漱石の議論のどこが、今日でもそのまま通用し、どこが、1914年の学習院という場に固有の前提を引きずっているか。7本の記事を通して読んだ講演を、最後に評価する。