特集
新村出の肖像

新村出

「とても面白い」は、なぜ昔は言えなかったのか。バカ、キセル、右と左——身近な言葉の由来を、文献の証拠で追い、ときには自分の説を自分で取り下げた言語学者。『日本の言葉』(1940) を読む。

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新村出を読む——一つの言葉の来歴を、証拠で追いかけた人

「とても面白い」は、なぜ昔は言えなかったのか。バカ、キセル、右と左——身近な言葉の由来を、新村出(1876–1967)は文献の証拠をたどって調べ、ときには自分の説を自分で取り下げた。『日本の言葉』(1940) を読む。

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「とても」は、なぜ昔は「とても面白い」と言えなかったのか

「とても面白い」「とてもおいしい」——今は当たり前だが、1940年の新村出は、この言い方を「新しい流行語」として観察している。もとの「とても」は、「とてもできない」のように、否定とだけ結びつく言葉だった。その理由を、語源から追う。

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「右」と「左」は、どこから来た言葉か——ミギとヒダリの語源説を並べる

ヒダリは「日足り」か、それとも「日垂り」か。ミギは「曲がる」から来たのか、「握る」から来たのか。左右という、いちばん身近な言葉にも、決着していない語源の議論がある。新村出が、諸説を並べ、自分の説を添える。

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「キセル」はどこの言葉か——新村出が、自分の最初の説を取り下げるまで

煙管を「キセル」と呼ぶのは、なぜか。新村出は、最初、トルコの小さな町の名を思いついた。しかし、ある人の指摘で、自分の説をあっさり取り下げる。その道筋には、大槻文彦の『言海』の誤りも顔を出す。

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精読——「とても使ひえないのである」——「とても」を、原文で確かめる

「吾々の言語有機體は固定してしまつてゐる」。1940年の新村出は、「とても面白い」を自分では言えない、と正直に書く。そのうえで、「とても」の語源を、中世の謡曲まで遡って確かめる。『日本の言葉』の「山言葉」「とても補考」を、原文で読む。

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精読——「漢學者の故事附けで取るに足らない」——「馬鹿」の俗説を、一つずつ検証する

「馬鹿」は、秦の趙高が鹿を馬と言い張った故事から来た——という有名な話を、新村出は、「取るに足らない」と退ける。では、本当の語源は何か。梵語説をたどり、最後は「決定しかねる」と書いて終える。『日本の言葉』の「馬鹿考」を、原文で読む。

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遺産と判定——語源の答えは動いても、新村出の「確かめ方」は残る

「キセル」はカンボジア語。「馬鹿」の趙高説は俗説。「右左」は今も決着せず、「とても」は語源より観察が光る。新村出が四つの言葉で示した答えは、それぞれ違う運命をたどっている。だが、証拠を並べ、言い切る範囲を区切り、間違えれば直すという確かめ方は、今も通用する。

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