特集
エドワード・サピア
言語は本能でも人種でもない。人類学者サピアの『言語』(1921)を読む。
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← ホームへ エドワード・サピア『言語』(1921) を読む——ことばは本能でも人種でもない
ソシュールの『講義』から5年、人類学者サピアが書いた一般言語学の入門書。言語は本能ではなく文化、その本質は音ではなくパターン、そして言語は自分でドリフトする——本の要点を、原文の引用とやさしい図で。
サピア『言語』をやさしく読む(前半):ことばは本能か、音とは何か
歩くことと話すことはどう違うのか。叫び声はことばになるのか。富士山とサント・ヴィクトワール山を並べて、サピアの第1〜3章——言語の定義、発音器官という誤解、音の背後にあるパターン——をたどる。
サピア『言語』をやさしく読む(後半):かたち、意味、そして言語に優劣はない
語はどんな方法で組み立てられるのか。「農夫がアヒルの子を殺す」の一文に何種類の意味がひそむのか。そして、言語を「孤立語→屈折語」と並べる梯子はなぜ捨てるべきなのか——サピアの第4〜6章。
サピアの「ドリフト」——言語は時間の流れを下り、自分の勾配を持つ
「whom」はあと二世紀で消える、とサピアは予言した。個人のゆらぎではなく、方向を持って積み重なる無意識の選択——それがドリフト。『言語』第7〜8章を一点集中で読む。
言語・人種・文化は別物——サピアの分離論
「民族の天才が言語を作る」は迷信である。人種・言語・文化は互いに独立した変数だ——師ボアズの人類学を言語の側から徹底した、『言語』第9〜10章。
音のパターンから音素へ——サピア第3章と、その後の音韻論
英語話者の百人に一人も、sting の t と teem の t が別の音だと気づかない。客観的な音の背後に「心のなかの音の体系」がある——サピアの洞察が、どうやって「音素」になったか。
言語と文学——翻訳できるもの、できないもの(サピア第11章)
「ハイネを読むと、宇宙がドイツ語を話しているような錯覚に陥る」。文学は言語という素材でできている。翻訳できる層とできない層、そして韻律が言語の力学から生まれること——サピア『言語』の最終章。