フランツ・ボップ
ラスクとグリムが子音の対応に照準を絞ったのに対し、ボップは動詞の活用から名詞の格変化まで、文法の隅々を8言語にわたって比較し尽くした。『比較文法』(Vergleichende Grammatik) を、「言語は有機体だ」という発想から、文法語尾は化石になった代名詞だという理論、そしてグリムとの意外な接点まで読む。
フランツ・ボップ『比較文法』(1833/1856) を読む——サンスクリット語という「新大陸」を、文法の一部始終にまで広げた男
ラスクとグリムが子音の対応に照準を絞ったのに対し、ボップは動詞の活用から名詞の格変化まで、文法の隅々を8言語にわたって比較し尽くした。生涯をかけた大著を読む。
文法は、化石ではなく生き物だ——ボップの発想を、やさしく
ボップは、言語という対象を「有機体」にたとえた。この比喩は、たんなる詩的な言い回しではない。健康な体と、すり減った体という発想が、彼の比較の方法そのものを支えている。
「私は与える」の「私」はどこに消えたのか——ボップの発見を、やさしく
サンスクリット語で「私は与える」は dadāmi、たった一語ですむ。「私」はどこにいったのか——ボップは、動詞の語尾そのものが、かつての「私」だったことを突き止めた。
「語根の謎には、手を触れない」——ボップ、1833年の序文を精読する
なぜ語根 I は「行く」を意味し、「立つ」を意味しないのか——ボップは、この問いにはあえて答えない。どこまでを説明の対象とし、どこで踏みとどまるか。1833年の序文が引いた、一本の線を読む。
-mi から -m へ——語尾がすり減っていく過程を、原文で追う
「私は与える」を意味する語尾には、実は二つの形がある——重いmiと、軽いm。この違いさえも、ボップは言語という有機体の年齢の差として説明してみせる。633ページの技術的な議論を読む。
「グリムの見事な文法は、まだ知らなかった」——ボップが遺したもの、そして比喩の危うさ
ボップ自身が脚注に書き残した、グリムとのニアミス。「言語は有機体」という比喩は、比較言語学を大きく前進させた一方で、のちの世代の手で、もっと危うい方向にも育っていった。
検証——ボップの『比較文法』は、二百年後の言語学からどう見えるか
文法語尾が化石になった代名詞だ、という発見は、今も「文法化」という名前で言語学の中心にある。だが「言語は有機体」という比喩は、のちの世代の手で行き過ぎた。方法の実り豊かさと、比喩の危うさを、分けて採点する。