特集
ウィリアム・ジョーンズの肖像(銅版画、37歳ごろ)

ウィリアム・ジョーンズ

カルカッタの最高裁判事が、アジア協会の年次講演でふと漏らした一段落。サンスクリット語とギリシア語・ラテン語の「偶然ではありえない」類似を指摘したこの一言が、比較言語学、そして「インド・ヨーロッパ語族」という発想全体の出発点になった。1786年2月2日の講演を読む。

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ウィリアム・ジョーンズ『第三回記念講演』(1786) を読む——一つの段落が、言語学という学問を生んだ

カルカッタの最高裁判事が、アジア協会の年次講演でふと漏らした一段落。サンスクリット語とギリシア語・ラテン語の「偶然ではありえない」類似を指摘したこの一節が、のちに比較言語学・インド・ヨーロッパ語族という発想全体の出発点になった。1786年2月2日の講演を、原文とともに読む。

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ジョーンズの発見を、やさしく言うと

サンスクリット語とギリシア語・ラテン語が似ているのは、たまたまではない——そこから「言語にも家系図がある」という発想が生まれた。専門用語なしで、その道すじを追ってみる。

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ジョーンズの発見を、トピックごとに

なぜ判事が言語学を変えたのか。講演の四本柱から、行き過ぎた神話の比較、そして後継者たちの仕事まで。第三回記念講演の中身を、一項目ずつ短く読む。

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「偶然」でも「借用」でもなく——ジョーンズの比較の論理

似ている理由は三つある——偶然、借用、そして共通の祖先。ジョーンズはどうやって前の二つを退け、三つ目にたどり着いたのか。征服と言語というもう一つの類推、そして文字にまで及んだ同じ論理を読む。

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神々の比較——同じ手つきが、どこまで届き、どこで行き過ぎたか

ジョーンズは、言語の比較で使った同じ論理を、神話と哲学にも広げた。ギリシアの神々とヒンドゥーの神々の対応、プラトンとヴェーダーンタの近さ——そしてオーディンと仏陀を同一視する、明らかな行き過ぎ。一つの講演の中の、光と影を読む。

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反響と系譜——直観から、法則へ

ジョーンズの一段落は、それ自体では一つの学問にならなかった。「偶然ではない」という直観を、実際にどの音がどの音に対応するかという規則にまで鍛え上げたのは、彼の死後、ヨーロッパで育った次の世代だった。ボップ、ラスク、そしてグリムへ続く道を読む。

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検証——ジョーンズの言語の予測は、どうなったか

サンスクリット・ギリシア語・ラテン語だけでなく、ゴート語、ケルト語、古代ペルシア語、そして中国語とチベット語。ジョーンズが語族について示した予測を一つずつ取り出し、二百年以上のちの言語学がそれぞれにどんな判定を下したかを読む。

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